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8月13日(木)、サンパウロ人文科学研究所にて、講演会「増田恆河、ハイカイ文化の仲介者 ─ブラジルから始まる世界の俳句の未来─」が開催されました。講師は松蔭大学コミュニケーション文化学部教授、白石佳和氏です。会場には23名、オンラインでは39名が参加し、盛況のうちに終了しました。

増田恆河(本名・秀一)氏は1911年に香川県で生まれ、1929年に家族とともにブラジルへ渡りました。土曜会やサンパウロ人文学研究会に参加し、サンパウロ人文科学研究所の創立者の一人でもあります。1987年以降はブラジルハイカイの世界で活躍し、2008年にサンパウロ市で97歳の生涯を閉じました。
白石氏の講演は、この増田恆河という一人の仲介者を軸に、俳句がいかにして日本からブラジルへ渡り、独自の文学として根づいていったかを丹念にたどるものでした。
参考:増田秀一 https://cenb.org.br/researcher/hidekazu-masuda/
講演ではまず、俳句がブラジルへ伝わった二つの経路が示されました。一つは日本人移民による人的交流を通じた経路(日本語俳句・コロニア語俳句として始まり、80年を経てポルトガル語へ)、もう一つはフランスを経由した翻訳による受容の経路です。この二つの流れが1987年、増田恆河がグレミオ・ハイカイ・イペーに合流したことで交差し、以後「ハイカイ」はポルトガル語の文学として存続・拡大していく一方、日本語(移民)俳句は高齢化により先細っていったことが、年表とともに解説されました。
講演の中核をなしたのは「季語(kigo)」をめぐる考察です。日本のお盆(8月・秋)が移民の間では墓参り(11月・春)となり、さらにブラジル社会では「死者の日(Dia de Finados、11月2日)」へと名を変えていった過程が紹介されました。1987年のグレミオ・ハイカイ・イペーの例会で、増田恆河が仲間に投げかけたという「一年に一度だけ起こることは何か」という問いも取り上げられ、そこからイペーの花(春)、ナタル(夏)、パイネイラ(秋)、ジュニーナ祭(冬)といった、南半球ブラジル独自の季語群が生まれていった経緯が語られました。
白石氏はさらに、増田恆河とテルコ・オダ氏が編んだポルトガル語歳時記『Natureza — Berço do Haicai: Kigologia e Antologia』(1996年)を紹介。両氏が創った造語「Kigologia(季語学)」にも触れながら、日本文化の感覚を色濃く残す季語(例:Primavera saudosa=春惜しむ)と、ブラジル独自の感覚を尊重した季語(例:Chuva-de-caju=カジューの雨)を対比的に示す資料が提示され、増田恆河が単なる翻訳者ではなく、二つの文化のあいだで丁寧に折り合いをつけていった仲介者であったことが浮かび上がりました。

講演の後半では、増田恆河が実践した「座の文学」という活動のあり方が紹介されました。グレミオ・ハイカイ・イペーでは、日本の俳句結社(『ホトトギス』など)を範としながらも、リーダーを置かず、増田自身はファシリテーターとして参加者の平等性を重視したといいます。吟行やポルトガル語での連句も奨励され、参加者は作者であり読者であり批評者でもある、という座の在り方が実践されました。
白石氏は座を「コンタクトゾーン(複数文化が接触し文化変容を促す場)」「創作の場」「学びの場」の三つの側面から説明し、増田恆河が作った座が、ブラジル文化・日本文化・日系文化の混淆や、一世と二世という異なる世代間の文化継承の場としても機能していたと位置づけました。

この日会場には、実際に増田恆河の座に参加していたEdson Iura氏とFrancisco Handa氏の姿もありました。白石氏が講演の中で「実際の座はどのようなものだったのか」と問いかけると、お二人がその場でご自身の体験として当時の様子を語る場面があり、資料や研究だけでは伝わらない座の空気感が共有される、印象深い瞬間となりました。
なお、現在のブラジルハイカイの最前線を担う書き手として、Edson Iura氏、Danita Cotrim氏の作品も紹介されました。両氏の句には、日本の俳句の伝統を受け継ぎながらも、ブラジルの自然や暮らしに根ざした独自の世界が息づいています。白石氏は、Edson Iura氏が自身の句集に加え、俳句論やアンソロジーの編纂も手がけていることに触れ、その仕事を「世界の俳句論の最高峰の一つ」と評しました。
この日、最も印象的だったのは、増田恆河氏のご子息夫妻がオンラインで参加され、寄せられたコメントでした。ご子息であるハツサブロウ氏は涙ぐみながら、次のように語られました。
「このイベントの実現に関わってくださった皆様、とりわけこの機会を作ってくださった白石教授に、心より感謝申し上げます。
私自身はハイカイに直接携わったことはありませんが、長年父と語り合う中で、その歴史の歩みを見守ってまいりました。そして今日、皆様のおかげで、それまできちんと見えていなかった、父が成し遂げてきた仕事の重要性を、これまで以上に深く理解することができました。皆様に、心よりお礼申し上げます。」
会場に集った、かつて増田恆河とともに座を作った人々の存在と、ご子息のこの言葉が重なり合うことで、増田恆河という一人の仲介者が遺した仕事の重みが、あらためて確かめられる夜となりました。

講演の締めくくりで白石氏は、増田恆河が翻訳を超えて「仲介者」として文化を伝えたことの意義を強調したうえで、1990年代とは異なり交通・インターネットが発達し、AIが言語の壁を崩しつつある現在、俳句の世界は「仲介の時代」から「交流の時代」へと移りつつあると述べました。移民俳句、ブラジルハイカイ、ラテンアメリカ、そして世界をつなぐ交流の場を作っていきたいという抱負とともに、白石氏の近著『ブラジル移民と五七五 ─ブラジル国際俳句のトランスカルチュラルな展開─』からのメッセージが紹介されました。
「ブラジル国際ハイクの多様な文学的営みは、複言語複文化に生きる現代の人たちへの前向きなメッセージである。」
講演は最後、「Obrigado Brasil, Obrigado Goga(ブラジルに感謝、ゴウガに感謝)」という言葉で締めくくられました。


白石佳和氏は松蔭大学コミュニケーション文化学部教授。国際俳句、日本古典文学、日本語教育を専門とし、ブラジルを中心とした国際俳句のトランスカルチュラルな展開について研究を進めている。
主催:サンパウロ人文科学研究所(CENB)。本講演会は日本語で行われ、ポルトガル語通訳が付きました。
