異端審問の女たち
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008

 ポルトガルは15 世紀の終わりごろから高利貸し商人が多いタユダヤ人を「利子を取って金を貸すことはキリスト教の教理に反する罪悪だ」として、宗教裁判で財産没収、国外追放、火あぶりにしています。迫害を逃れる手段としてキリスト教に改宗した人たちもおり、「クリスタン・ノーボ」と呼ばれました。ブラジルはサトウキビ栽培と砂糖工場が大規模に経営されるようになり、大資本をもった貴族や金持ちがやってきましたが、迫害を免れたこの「クリスタン・ノーボ」の人たちも大勢混じっていました。しかし、ポルトガル本国の異端審問はますます力を持ち、審問官がバイアとペルナンブコまでやってきました。この地方に「クリスタン・ノーボ」が集中して住んでいたからで、モーロ人やユダヤ人が標的にされています。第一回審問は1591〜1595年にかけて行われていますが、密告者からの通報が主。そもそも異端審問そのものが偏見ですし、現在なら証拠不十分で無罪になるものがほとんどでした。

1)アナ・ロイス
 ポルトガル生まれの「クリスタン・ノーボ」。ユダヤ人の夫とともに、ブラジルにわたりサトウキビ園を経営していました。異端審問にかけられたときはすでに未亡人でしかも80歳。6人の子どもも異端審問にかけられ、うち二人の娘はリスボンで火あぶりの刑に処されています。

 バイアやペルナンブッコに審問官がやってきたのは、リスボンの異端審問において有罪になった者がブラジルに逃れてきているためというのがタテマエ。ホンネはブラジルという新天地における異教徒を根こそぎにしたい、ではなかったかと思われます。カトリック以外は認めたくなかったのです。ですから密告ひとつで十分。その中の一人がアナだったといわれますが、夫がユダヤ人だったために「見せしめ」として処刑されたような気がします。

 1592年、バイアで審問をうけました。審問官はヂオゴ・フルタド・デ・メンドンサ。アナが生まれた頃は、本国ポルトガルではユダヤ教がすでに足跡をとどめていませんでした、が、幼少の頃からいろいろ伝承されていた習慣がありました。80歳の老婆はすべて無心に答えます。

 「ここ4,5 年は胃に悪いので生のフカは食べていません。だけど、塩漬けにしたものは焼いてたべています。それから、今はエイも食べませんが、ひところはエイもサメも食べたものです・・・。夫が死んだときもつぼの水を振りかけましたが、これがユダヤ教のやり方だとは知りませんでした。これを教えてくれたのはポルトガルにいたとき家の前に住んでいたのおばさんのイネス。産婆で未亡人で旧教を信じていました。いいことだと教わったからブラジルで娘たちにも教えてきました」

 ポルトガル訛りでポツリポツリ語る老婆に、審問官は次から次と質問しました。ユダヤ教をやって、何年になるか。主の信仰をやめて何年になるか、娘たちにいつからユダヤ教を教え始めたのか。こんな遠まわしの質問に無心に答えているうちに包囲が狭められ、最後にはユダヤ教の熱心な実践者ということにさせられてしまいました。

 老婆が絶望し、泣き叫び、懇願する姿はあわれでした。リスボンに連行され、火あぶりの刑に処せられました。80歳になった人間をなぜ火あぶりにしなければならなかったのかと憮然とします。役人は成績を上げなければなりませんから、数字のいけにえになったともいえます。審問官の偏見と独断。それがまかり通った時代でした。

 こんな異端審問にかけられて処罰されたので有名なのがジャンヌダーク。魔術によって神を冒涜したという罪で火刑に処されています。当時は女性の人権が弱く、雨が降りすぎても、収穫量が減少しても女が火あぶりになったのです。

 そういえば、ブラジルにも魔術を行ったとして、審問会議にかけられた女性がいます。

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サンパウロ人文科学研究所 Centro de Estudos Nipo-Brasileiros