移民と住宅
熊谷広子(宮城高専助手)
terça-feira, 15 de janeiro de 2008

 わが家は賃貸で築40年木造平屋の一軒家である。9畳のダイニングキッチンに6畳1部屋、4畳半2部屋にトイレとお風呂と2畳の玄関がついて、玄関の前には車2台分は駐車することのできる庭がある。そこに夫婦2人で住んでいる。

 去年の初夏、突然、梅干しを自分で漬けてみたいと思った。新聞をめくっていたら、瓶にはいった青梅の写真とやわらかそうにしぼんだ薄赤色の梅が竹ざるに干されている写真とが、目に入ってきたのがきっかけだった。よく見るとそれは「塩」の宣伝で、写真の脇に梅干しの作り方が書いてあった。「梅を水で一晩アク抜きし・・・焼酎でしっとりさせ、塩をふってよく混ぜる」と最初の行程には難はない。しかし、途中で「土用の頃、晴天の日光で梅やシソを干す。目安は4? 5日繰り返す」とでてきた。ちょっとまって。

 そういえば、実家には梅の木があった。時期になると毎年、母が庭に新聞紙を敷いて梅を干していたっけ。ときどきひっくり返したり、日が陰ったときには、一時的に縁側にあげたりしながら、繰り返し天日に当てていた。でも、わが家ではどこに干そうか。庭はあるものの、平日昼間は夫婦共働きで留守のため、お天道様のある時間を見計らって、外に干しておくことはまず無理そうである。土日といえど、仕事のこともある。とりあえず、ずっとおきっぱなしにしてても大丈夫な縁側だってない。結局、自分が家を作るときには絶対に縁側のある家を設計しよう、と心に決めるだけで事は終わってしまった。すまいの空間は、そこに住む人間の行動を制限する、と思った。

 この梅干しの件だけではない。去年の元旦には、元朝参りの際にお札を買ってきた。しかし、わが家では神棚があるわけでもなく、それを置くための適当な場所がない。迷ったあげく、玄関の靴箱の上部に鎮座させておいたが、なんだかちょっと神様に申し訳ない気がした。それから1年が過ぎて、そのお札は、つい先月、どんと祭にもっていって焼いてもらい、今年は新たにお札を買うことはしなかった。

 私が生まれ育った家の2階には、10 畳ほどのカミサマの部屋と6畳の父母の寝室、そして3畳の小部屋と小さな納戸があった。カミサマの部屋は他の部屋より一段(30cmほど)高くなっており、年に数回来客が泊まることがあるほかには、普段はまったく使われていなかった。大晦日の日の夕方には、この部屋のカミサマとミタマヤサマ、それから1階のオホトケサマとにお神酒や食事をあげ、そしてカミサマ、ミタマヤサマ、オホトケサマの順に家族全員がそれぞれ1年の終わりの挨拶をして、それから年越しの御馳走をいただくのが実家での習わしだった。新年が明けると、また同様に挨拶をしてから最初の雑煮をいただく。他にも、小正月にはミズの木に団子をさすなど、季節に応じた家の行事がいくつかあった。それらをすべて踏襲しようという気はないが、最近めっきりそれらが懐かしい。そして、そういった習慣や行事のいくつかは絶やしてはいけないという思いが、年を経るごとに強くなってきている。

 ブラジルへ移住した人たちは住む上でどんな空間を必要とし、そして日々、どんな暮らしをしてきたのだろう。何を継承し、あるいは何を捨て、そして新たに何を受け入れてきたのか。

 トメ・アスーでは、1950ー 60年代に建てられた規模の大きな住宅において2階に大広間が設けれられるケースが多く見られた。しかし最近の住宅では、それにとって代わるように、住宅を取り巻くようにベランダが設けられるようになってきている。ミソ部屋を今でも必要とし、住宅を新築する際に設けるという家庭もある。1930-40年頃のバストスのある家庭では、客間(sala)は子供たちは入っては行けない場所だったという。レジストロでは1920年代に2階建ての家が随分たくさん建てられたが、それらのうちの何件かでは、一階を農作業のための空間や倉庫として使っていたと聞いた。

 移民の住宅はこうだったと一概には言えず、時代や地域によって違いがある。その特徴を確信を持って語るために、これからまだたくさんの人の話に耳を傾けたい。どんな住宅に住んで、各部屋をどんな風に使っていた(いる)か、そんな話を聞かせてくれる人がいたら、とても幸せである。

写真:明治村に移築されたレヂストロ入植者の2階建ての家(1919年築)

興味のある方は、以下を参照されたい。
 熊谷広子、森弘則、村上良太;生活環境条件から見たトメ・アスー日系農家住宅の変容?余裕空間を視座として?(日本建築学会計画系論文集,No.608,日本建築学会,pp.73-80 2006.10)
 熊谷広子、森弘則、坂口大洋、森幸一;ブラジルにおける日経移民の住空間の変遷について-パラ州トメ・アスー移住地を事例として-(住宅総合研究財団研究年報No.26,住宅総合研究財団,pp.95-106,2000.3)
 Hiroko Kumagai, Um estudo sobre a evolucao das moradias de imigrantes no BR -No caso da Colonia Tome-Acu, Para- (SNOPSIS 37, Universidade de Sao Paulo, Faculdade de Arquitetura e Urbanismo, pp.37-52 2002.4)
 熊谷広子、飯淵康一、永井康雄;ブラジルにおける日系移民の住空間の変遷に関する研究?戦前期における住宅改善の指針について?(日本建築学会東北支部研究報告集,第67号,pp.219-222,2004.6)


サンパウロ人文科学研究所 Centro de Estudos Nipo-Brasileiros