常に写真とのコンタクトが
サンパウロ人文科学研究所のホームページのトップ画面に自分の撮った写真を掲載してもらっていることに、はじめに感謝申し上げたい。
白黒写真の紙焼き(プリント)作業をしていて、現像液の中の印画紙に像がジワーっと浮び上がってくる瞬間がある。その時の嬉しさは、「何事にも変えがたい」と言えば大げさか。それが、自分がモノにできたと思うショットであればあるほど、その喜びは増大する。
現代のデジタルカメラ時代に、あえて白黒写真現像を行うのは、金と時間の無駄使いとも言える。しかし、「自分で写真を創り出している」という充実感が、そこにはある。
フランスのパリを拠点に活動していると伝え聞く、かの有名なブラジル人フォトジャーナリストであるセバスチャン・サルガド氏は、15年ほど前の日本の雑誌の取材の中でこう言っている。
「白黒の場合にはラボでの現像処理があり、自分で引き伸ばし、紙焼きしてみたり、常に写真とのコンタクトがある」と。
偉大な写真家に対して、おこがましくもあるが、この思いに共感し、できる限り自分も白黒写真にこだわってみようと思って写真を撮ってきたつもりだ。
魅力は、光と影の微妙な諧調の中に
ブラジルでは邦字新聞社勤務ということで、仕事柄、白黒写真で撮ることが多かった。そのことが幸いして、これまでに日本人移民やその子弟の方々の表情や生活スタイルなどを撮る機会に恵まれた。ブラジルの場合、特に地方に取材に行き、写真を撮らせてもらう際、太陽光の強さを実感する。昼間に室内などで撮影していても、外光が充分過ぎるくらい家屋の中に入り込み、爺っちゃん、婆っちゃんたちの表情を浮き彫りにしてくれる。
白黒写真の魅力は、光と影の微妙な諧調の中にあるとも言えよう。
そうした中、数年前から私が勤務する新聞社は、財政難の中で無謀とも言えるカラー印刷に踏み切り、白黒現像は不要となった。しかも、現代のデジタルカメラ化の波はブラジルにも押し寄せ、米系のコダックをはじめ日本の大手メーカーが輸出販売していた白黒印画紙はブラジル国内ではもはや見当たらない。今や印画紙そのものを探すのに、ひと苦労するご時世になってしまった。
1年ほど前、こちらが欲しいと思っていたサイズの印画紙がサンパウロ市内のピニェイロス区で販売されていると伝え聞き、仕事も放り投げて、現場まで買いに行ったことがある。しかし、サントス港湾のストでいつ陸揚されるか分からない状況で「在庫は無い」とムゲに断られ、しぶしぶ歩いて帰ったことがある。その後、ようやく手に入れた印画紙は、四つ切(24cm×30cm)の50枚入りシートが300レアル(約1万5000円)近くもし、「こいつら、足元みやがって!」と店員に対して怒鳴りたくなるのを必死に押さえたこともある。
限界、贅沢
日本語を読むことができる読者数が激減するブラジルの邦字新聞社で薄給で働きながら、個人経費がバカにならない白黒写真をやり続けるのは、残念ながらいつかは限界が来ると肌身に感じている。加えて、現在の主流であるデジタルカメラは、お手軽で撮影した画像をすぐに確認できるなどの便利さがある。しかし、かつての音楽用レコード盤のように、CDやDVDと進化する中でも、そのレトロな魅力が一部のマニアの中では絶大な支援を受けているという事実もある。
今後、手間暇かけて白黒印画紙で紙焼きができるということは、ある意味で最大の贅沢になるかもしれない。いつまで白黒写真が自分の手で焼けるか分からないが、出来る限り続けていきたいと思っている。