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Reúne e apresenta artigos da página especial no antigo site do Centro de Estudos Nipo-Brasileiros.Para
Para informações sobre esta série, contate michiyonaka(at)yahoo.co.jp
quinta-feira, 08 de maio de 2008 6)ルイザ・マイン 息子が偉くなった話をもうひとつ。ルイス・ガマという著名な詩人がいます。大向こうを唸らせるような名演説をする弁護士で、有名なドレイ解放運動の闘士ですが、この人はルイザ・マインというドレイの息子なのです。ルイザ・マインはジェジェ・ナゴー王国の王女だったそうです。1807年から 1838年にかけてバイアではひんぱんに…
quarta-feira, 02 de abril de 2008 5)マンエ・ベンタ お菓子屋の元祖といえばいいのでしょうか。料理が好きで、それで息子を養っていました。鶏卵と砂糖でみんなを喜ばせるものができないかと考案されたのが、「ボリニョ・デ・シューバ」。日本では「揚げドーナツ」などと呼ばれているようですが、これがブラジルの料理史の中に名をとどめる快挙となります。「ドナ・ベンタ」印のスパゲテ…
quarta-feira, 20 de fevereiro de 2008 3)エバ・マリア・ド・ボンスセッソ 裁判所の記録から掘り起こされたエピソード。エバは八百屋でした。というより、街角で戸板にバナナと葉野菜のケールをならべて売っていたのです。いずれも、ブラジルでは放っても育つ半野性的な作物。ところがドレイがつれてきていたヤギが、バナナを食べました。商品の、食いかけのバナナを取り返そうとエバ…
quarta-feira, 06 de fevereiro de 2008 3)ベラルダ・イセリンガ・ペレイラ サンパウロ周辺に住んで行商していたといいますから、時代はかなり後になります。15 頭のロバに種々雑多な商品を積み込んで奥地を売り歩いていた模様。今でいう車両通行料金を払わなければいけなかったために、通行税台帳に名前が残ってます。カラガタツバの台帳には15頭のラバの通関税として7ミル40…
quarta-feira, 30 de janeiro de 2008 2)アナ・ロッペス こちらは干し肉を行商していました。干し肉などを扱うのも男の仕事です。1795年、納税台帳が発見されて、「ア、税金を払った女もいたのだ」ということになったのですが、男の中に女ひとり混じって働くわけですから、納税することが一つの矜持だったのではないかと想像します。 私はパライゾ区に住んでいるのですが、時々、…
quinta-feira, 17 de janeiro de 2008 今から二百年前の貧弱なミナス地方に金鉱が発見されて、ブラジル全国の五分の一の人間が殺到し、金を掘ることに血眼になりました。前項の「シッカ」などもそういう背景があって出現してきたわけです。野菜を栽培したり食べ物を作ったりなどと考えもしませんでしたから、壊血病になる人も多く、どんな品物でも、ミナスに持っていけば瞬く間に売れ、マス…
quinta-feira, 17 de janeiro de 2008 黒人ドレイの子でありながら、ハイソサイティーに駆け上がり、女王のような生活を送った女性の話しをしましょう。 1)シッカ・ダ・シルバ 映画『Xica da Silva』(1976年・主演ゼゼ・ダ・モッタ)やテレビドラマ『Chica da Silva』(97年・主演タイスア・ラウジョ)にもなっているので、フランシスカ・ダ・シル…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 (2)エスペランサ・ガルシア イエズス会を追放したあとの王室の農場に所属していたドレイで、結婚し、ピアウイに住んでいました。先住民の教化にずいぶん精力的だったイエズス会ですが、インジオをドレイとして使うセニョール側とは相容れず、いろいろな経緯を辿りながら結局、衰退してしまいます。 夫婦で農場に住んでいたのですが、ナザレに…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 サルバドールにはカピトン・ド・マットとよばれる逃亡ドレイを捕獲して、賞金を稼ぐ男たちもいました。マッシャード・デ・アシスは「父親X 母親(Pai contra Mae)」という短編の中で、逃亡ドレイと賞金稼ぎの男を描いています。マッシャード・デ・アシス自身も父親が黒人で、しかもどもりで癇癪もちというハンデイを背負っていまし…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 チア・アナ セアラーの奥地で起きた暴動です。その暴動を主導したのがアナでした。戸外のドレイを全員逃亡させたのですが、そのために見せしめとしてセニョールは、家内のドレイを全員殺してしまいました。暴力的で高圧的なセニョールが多い地方で、判事に土地を売らなかったジェロニモという小農の男を逮捕するなど朝飯前の土地柄なのです。職権乱…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 マリアナ・クリオラ 時代はずっと下って、もう19世紀に入ってからです。マリアナはリオ・デ・ジャネイロのヴァソーラという町に住んでいたフランシスカという裁縫師のムカマ(小間使い)でした。ジョゼという黒人の農民と結婚していたのですが、「カーザ・グランデ(主人の邸宅)」に寝起きしていました。 1838 年、フルミネンセ地方で未曾…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 アクアルツネ 元はコンゴの王様の娘で、父親は一万の兵卒を率いる軍団長。部族間の戦争で捕虜となり、レシーフェに連れてこられ、子どもを産む機械として買われました。家畜には「種付け用」というのがあるのですが、ドレイにもそんな役目を負った人たちがいました。強壮な身体をもつ男性が選ばれるわけですが、同時に「産む機械」として買われた女性…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 アナスタシア 1740 年、ドレイ船がリオに到着したとき、船中にはコンゴからのドレイ112名、そのなかに王様の家族がいました。王様の妹の娘がアナスタシアの母親デルミンダで、妊娠中でした。買い手はアントニオ・ロドリゲス。そう、有名なバンデイランテです。アントニオ・ロドリゲスはミナスの中西部で鉱山をやっており、そのとき、全員を1…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 小学生の私は胸をどきどきさせながらストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』を読み、トムがムチで叩かれる場面など、まるで、自分の背中が痛むように感じたものです。しかし、しょせん遠い国のお話でした。 原住民がドレイとして売買されたり、また、アフリカ大陸から黒人がドレイとして大々的に輸入された国に移住してきて、遠い国のできごとが自…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 (4)フェリッパ・デ・ソウザ 先のレズビアンのリストの筆頭に名前が挙げられている女性です。ポルトガルでは左官屋の女房。未亡人となりパン屋の女房としてサルバドールで暮らしていましたが、本人も縫い物などをして生活を支えていました。この35歳のお針子も読み書きができたのです。ふつう勉学のチャンスがあるのは中産階級以上の女性。フェリ…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 (3)パウラ・デ・セケイラ 信仰はともかく、性癖に関しては密室内で行われるものなので証拠固めも難しい。「おかしな息遣いがしているから、もしかして肛門性交では・・・」などというタレ込みで捕縛されるという状況だったようです。 同性愛の罪で第一回の異端審問会議にかけられた女性のリストがあります。『A coisa obscura:…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 (2)ルイザ・ダ・シルバ・ソアレス 当時どういうことが異端とみなされたのかというと、ユダヤ教などの異教、ホモ・レズなどの同性愛、肛門性交、獣姦、妖術、魔術などです。 オリンダ生まれの奴隷ルイザは、魔術を使うというので異端審問にかけられました。何人もの人間に買われたり、売られたりしていますが、最後にはミナスの軍人ジョゼ・デ・…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 ポルトガルは15 世紀の終わりごろから高利貸し商人が多いタユダヤ人を「利子を取って金を貸すことはキリスト教の教理に反する罪悪だ」として、宗教裁判で財産没収、国外追放、火あぶりにしています。迫害を逃れる手段としてキリスト教に改宗した人たちもおり、「クリスタン・ノーボ」と呼ばれました。ブラジルはサトウキビ栽培と砂糖工場が大規模…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 ブリッテス・メンデス・デ・アルブケルケ もう一人のドナタリアです。インジオの娘と結婚した白鳥というあだなの青年ジェロニモの姉。ポリガミーをやめさせ、貴族の娘と結婚させるのに奔走した人です。カモンエスの「オス ルジアダス」の詩にも謳われている極め付きの名門アルブケルケの出。 1535年に多数の士官、親族、友人に、また多数の…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 1)アナ・ピメンテル(下) アナ・ピメンテルは積極的に農場経営をしています。小麦を導入したのも、日本人とは切っても切り離せない稲の栽培を試みたのも、彼女です。そして、特筆されてもいるのが柑橘類の導入。壊血病予防のためにみかんの苗をブラジルに持ち込んだことが高く評価されています。 アナは聡明な女性だったには違いないのですが、…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 1)アナ・ピメンテル(上) アナ・ピメンテル サンビセンテの植民地開拓に明け暮れていたマルチン・アフォンソ・デ・ソウザに、三年ほどしてから、インド総督栄転の話が来ました。ポルトガルの高級公務員であり、当時のインドは男たちの夢でしたから、ソウザは喜んでこの話を受けます。カピタニアの遂行は妻であるアナ・ピメンテルに託されました…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 1549 年、イエズス会のマノエル・ダ・ノブレガ神父がトメ・デ・ソウザの艦隊といっしょにやってきたことは前に述べました。そこで目にしたのは聖職者たちの奔放な生活でした。一般青年たちもポリガミーをやって平気。真摯なカトリックにとっては噴飯もの。戒律が厳しいイエズス会のノブレガ神父は見かねて、本国のドン・ジョアン3世に手紙を書…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 (4)マリア・ド・エスピリト・サント カラムルやラマリョから少し時代はくだり、舞台はペルナンブッコに移ります。成功したカピタニアとして上げられるのが、前述のサンビセンテ、そしてこのペルナンブッコだけでした。ここの長官はドン・ドアルテというポルトガルの貴族でしたが、この地方には弓矢が得意なタバジャラという種族が住み、酋長アル…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 (3)バルチラ マルチン・アフォンソは約一年かけて沿岸の各地を詳細に調べたあと、サンビセンテにやってきました。 すでに沿岸には何人かの漂流者が住んでいて、みんな先住民の女と結婚していました。その中に実力者インジオの酋長チビリサの娘バルチラと結婚しているジョアン・ラマリョというポルトガル人がいました。 バルチラ ノブレ…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 (2)マダレナ・カラムル その後、ポルトガルから多数の植民者がブラジルにやってきましたが、そこにはマメルッコとよばれるインジオと白人の混血児たちが大勢いました。一般的にポルトガル人男性の理想は褐色の肌・黒い瞳のモーロ人女性なのですが、それをブラジルのインジオ混血女性に見出したのです。この女性たちはマメルッコ一世と呼ばれます。…
segunda-feira, 14 de janeiro de 2008 はじめに 「女は産む機械である」との発言が、巷をにぎわしている日本。進退問題に波及させ、国会をボイコットする野党。経済は一流、政治は三流といわれる日本の、特に野党のお粗末さ、大人気がなさすぎてあほらしい。いくらなんでも、こんな政党に政治は任されないだろうに・・・。 サンパウロで放映される衛星放送でそれを見たわが夫。「産む…