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ブラジルの剣道の歴史-調査と概要(上)

 今年(2008年)がブラジル日本百周年だという事は周知の事実だと思う。数多くの記念事業が予定、実施されてるが、ブラジルの剣道の歴史を纏めた本の出版もその一つであり、小生が現在その調査に当たっている。  この二部構成のエッセイはあまり知られていないブラジルの剣道の歴史を少し紹介することを目的とする。しかし、その調査には色々問題があり、それについて若干触れながら話を進めたい。また、ブラジルの剣道につ…

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ツアー体験記④ラーモス移住地、平和の塔

2008 年4月22日(火)の9時半に、ラーモス移住地に到着し、平和の塔建設に尽力された小川和己さんとお会いしました。ラーモス移住地はJAMICと日本政府の協定が1963年に成立、1964年に移住地が始まりました。クリチバーノス市の中にあるフレイ・ロジェリオが独立した結果、ラーモス移住地はフレイ・ロジェリオと呼ばれるようになりました。 平和の塔は小川さんの土地の敷地内で一番奥に位置しており、アスフ…

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横尾悦子のツアー体験記(3)ドイツ移民の町フライブルゴとイタリア移民の町タンガラー

4月21日(月)はチラデンテスの日で祝日です。6時、フライブルゴのホテル・ヘナールに到着しました。ヨーロッパ風建築の綺麗なホテルで、ちょうど朝日を見ることができ、すがすがしい気分になりました。ホテル周辺には、日本にも自生している朝顔やほうせんかが咲いていて、懐かしく感じました。 前日と同じく6時半に朝食を取り、着いた時、少し肌寒いと思っていたら、バスガイドさんにその時は摂氏10度だったと教えてもら…

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河合日記・巡回治療に同行して(2)

 7月9日  サンタマリア耕地、同航海の林さんと会うことが出来た。入耕当時の悲惨な体験を聞かされるのは辛い。空想が幻滅となり、悲嘆となり、やがて絶望からあきらめ、そして初めて再び起たなければならぬ事を悟る。この決った道をたどって行く人々の姿をみて深い悲しみをもつ。サンパウロ在住の所謂知識階級に対する一般植民者の(特に古い我利我利連の中に)敵意を感ずる事が時々ある。今日も同仁会入会の事でもめたらしい…

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河合日記・巡回治療に同行して

 ニッケイ新聞(2008 年4月25、26日)に連載された『ブラジルの東北人―移民100年』(「河北新報」2008年1月6、7日より転載)に、ブラジル日本移民史で広く知られているマラリアの流行での平野植民地の悲劇と、そうした実情を知った同仁会の医師・高岡専太郎がマラリア研究に取り組み、1925年からサンパウロ州奥地の日本人入植地におけるマラリア対策や治療にあたった活動が、「移民の赤ひげ」として紹介…

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横尾悦子のツアー体験記(2) イグアッペの街並

4月20日(日)のレジストロは小雨が降り、肌寒い感じがしました。サンパウロより南に位置しているので、気温が下回っていたのかもしれません。 私が参加したツアーは寝台バス3台、1号車から3号車までが連なって5泊6日で約2300 キロの道のりを移動しました。期間も距離も大変長いツアーでした。そのため、宿泊したホテルで全員が食事をするのはとても困難なので、1号車は午前6時半、2、3号車は午前7時、と時間帯…

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横尾悦子のツアー体験記(1) レジストロ移住地の日系人

サンパウロ人文科学研究所に勤務しております日系社会青年ボランティアの横尾悦子です。2008 年4月19日(土)から21日(月)の祝日(チラデンテスの日)を含む24日(木)までブラジル日本都道府県人会連合会主催のふるさと巡りツアーに参加してきました。行き先はレジストロ、イグアッペ、フレイ・ロジェリオ(ラーモス移住地)、ドイツ・イタリア移民の町フライブルゴ、イタリア移民の町タンガラーとオーストリア移民…

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随想

河合武夫 1947年1月に発刊された「土曜会」の同人誌「時代」第一号から、河合武夫の「随想」をそのまま転載する。手書き・謄写版印刷の第一号は80部ほど配布されたとのことだが、現在では非常に希少な資料となっている。その後の日系社会に少なからぬ影響を与えることになる「土曜会」のメンバーが、太平洋戦争終結直後の混乱の中で、いかなる運動を指向していたのか。その思索の一端を理解する手がかりとなろう。河合は「…

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新文化建設の指標 (2)

半田知雄 ここでは、「時代」第1号に掲載された半田知雄の評論文「新文化建設の指標」の後半部分を紹介する。  自分の記憶を辿りつゝ反省してみれば、最初の日本文化論は、概ね、日本精神云々の論であって、当代の政治家・國文学者などの主張であった。精神修養の目的を持ったものが多く、所謂「髙等批判」を受けることが少なかった。それはただ、新しい卋界觀として発展したものではなく、まして経済思想や社会思想の分野にま…

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新文化建設の指標

半田知雄  ここでは、「時代」第1号に掲載された半田知雄の評論文「新文化建設の指標」の前半部分を紹介する。「今日卋界文化の立場から批判してみると、我々のとった態度がいかに党派的であったかが思ひあたるのである。もしこれを止むを得ざる一時的方法であったとすれば、我々は今こそ、眞の日本文化・日本精神を確立するために努力すべきであらうと思ふ」という言葉に、日本の敗戦を起点としながら、あくまで新たな「日本文…

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「知性人としての教養と讀書」 (1947)【4】

1947年1月に発刊された「土曜会」の同人誌「時代」第一号から、アンドウゼンパチの「知性人としての教養と讀書」をそのまま転載する。手書き・謄写版印刷の第一号は80部ほど配布されたとのことだが、現在では非常に希少な資料となっている。その後の日系社会に少なからぬ影響を与えることになる「土曜会」のメンバーが、太平洋戦争終結直後の混乱の中で、いかなる運動を指向していたのか。その思索の一端を理解する手がかり…

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「知性人としての教養と讀書」 (1947)【3】

  1947年1月に発刊された「土曜会」の同人誌「時代」第一号から、アンドウゼンパチの「知性人としての教養と讀書」をそのまま転載する。手書き・謄写版印刷の第一号は80部ほど配布されたとのことだが、現在では非常に希少な資料となっている。その後の日系社会に少なからぬ影響を与えることになる「土曜会」のメンバーが、太平洋戦争終結直後の混乱の中で、いかなる運動を指向していたのか。その思索の一端を理解する手が…

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「知性人としての教養と讀書」 (1947)【2】

  1947年1月に発刊された「土曜会」の同人誌「時代」第一号から、アンドウゼンパチの「知性人としての教養と讀書」をそのまま転載する。手書き・謄写版印刷の第一号は80部ほど配布されたとのことだが、現在では非常に希少な資料となっている。その後の日系社会に少なからぬ影響を与えることになる「土曜会」のメンバーが、太平洋戦争終結直後の混乱の中で、いかなる運動を指向していたのか。その思索の一端を理解する手が…

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「知性人としての教養と讀書」 (1947)

  1947年1月に発刊された「土曜会」の同人誌「時代」第一号から、アンドウゼンパチの「知性人としての教養と讀書」をそのまま転載する。手書き・謄写版印刷の第一号は80部ほど配布されたとのことだが、現在では非常に希少な資料となっている。その後の日系社会に少なからぬ影響を与えることになる「土曜会」のメンバーが、太平洋戦争終結直後の混乱の中で、いかなる運動を指向していたのか。その思索の一端を理解する手が…

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時代 第二号(1947) 巻頭言

 1947年に発刊された「土曜会」の同人誌「時代」第二号から、「巻頭言」をそのまま転載する。 第二号で初めて挿入された巻頭言の執筆は半田知雄が担当し、その上には半田による椰子の木と思われる挿絵が描かれていた。  「この社会に何ものかを貢献せんとするとき医者が患者の病状をさぐるが如く、現実を分析しその進転の方向をさぐらねばならぬ」「いかなる誠意も愛情も認識に先立たれたものでなかったら、主観におぼれた…

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コロニアの良心 半田知雄

田中慎二 自己の信念を貫き、コロニアと共に生き、共に悩んできた半田の存在を「コロニアの良心」と呼んだのは、彼と刎頚の交わりをもった河合武夫である。ブラジル日系コロニアの歴史における半田が果した功績の一つは、創立発起者の中心人物として、日系コロニア最初の美術運動であるサンパウロ美術研究会(聖美会)を結成したことであろう。  聖美会が「互いに勉強し合う」ことを目的に設立されたのは1935年。半田をはじ…

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Sobre as Biografias de Pioneiros Falecidos: Por que os Falecidos, Agora?

人文研監事 森田左京  いまから12年まえ、1996年の初めに、「ポ和辞典データベース」を作ろうという提言を、亡くなった中隅哲郎、リオ在住の山下晃明両氏と私の3名で、パウリスタ新聞に発表した。趣旨に賛同してくれた田中光義編集顧問(元編集長)が、1ページ全面の貴重な紙面を確保してくれたものである。  結論からいうと、この提案はいささか時期尚早であったかも知れない。構想については、今でも諦めてはいない…

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