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中牧弘允(国立民族博物館 総合研究大学大学院教授) わたしはサロン風の語らいが好きだ。サロンにはくつろいだ雰囲気がもとめられる。そこでは甲論乙駁ではなく、談論風発がふさわしい。しかも品があって知的な味付けがあるともっといい。さらに酒精がくわわると、言うことなしだ。その意味で、サンパウロ人文科学研究所(以下、人文研)は理想的な知的サロンの場を提供している。 1983年から1985年までの2年間、わ…
古杉征己(サンパウロ人文科学研究所) 情けなくて、歯軋りする瞬間がある。日系コロニアに関する、外部からの問い合わせに対し、当研究所が満足に回答できないときだ。 殊に、現在の日系人口についてはお手上げ。「データがありません」といって、引き揚げてもらうしかない。「推定で、全国に140万人」というのが精一杯のところだ。実は、この質問がもっとも多い。 人文研は創立約40年(前々身の「土曜会」から数える…

古杉征己(サンパウロ人文科学研究所) 南北アメリカを旅して歩いた、評論家大宅壮一(1900─1970)は帰国後、見聞を著書『世界の裏街道を行く』(1956年、文芸春秋)にまとめた。ブラジルに関する限り、移民を揶揄した記述が散見され、刊行当時、不愉快な思いをした読者もいるはずだ。 『ブラジル広島県人発展史並びに県人会名簿』(1967年) 文中、「(30年前に移住して以来)文筆を職業として生きてき…

水野昌之 弁護士野尻アントニオは本業の傍ら翻訳の仕事、主として日、伯語訳をやっていた。『ポルトガル語の語学力ではどんなブラジル人作家、文筆家にも引けを取らない自信がある』。事実、日本人、ブラジル人を含めて両国語が十分にでき、両国の文学に精通した二世は彼を措いていなかった。日本文学に対しては「神髄を極めていた」といわれたほど造詣の深い一人であった。何よりも日本語のもつニユアンスを愛した。 従来ブ…

鈴木正威(サンパウロ人文科学研究所) 帰らぬ人となる さて、最初の日伯新聞の記事に戻ろう。記事はさらに一年後の三三年年二月一六日のもので、ウルグアイよりサントスに着いて、レジストロで客死する岡田の消息を伝えるものである。 — 旧臘(きゅうろう—昨年の12月)ウルグワイ方面より北上して正月サントスに着いた世界徒歩旅行家岡田芳太郎氏は、一月十日徒歩ジュキア線からレヂストロ方面目指して出発したが…

鈴木正威(サンパウロ人文科学研究所) アルゼンチン ミシオネス州にて さて、話を岡田の大陸行脚に戻そう。岡田がひょっこりボルト・アレグレに姿を現わす一年前、一九三一年には隣国のアルゼンチン、ミシオネス州にやってきた記録が、アルゼンチン日本人移住史(第一巻 戦前編)にある。 これによると、1930年代初頭に岡田芳太郎なる世界徒歩旅行家がアルゼンチンをまわり、日本人の暮らしぶりを亜爾然丁(アルゼン…

鈴木正威(サンパウロ人文科学研究所) マテ茶をすする老いたる旅行家 世界徒歩旅行家—といわれても、いまではあまり聞きなれないことばだが、そのご当人がブラジルにも足を運んでいることを知ったのは、まったくひよんなことからだった。 実は鈴木悌一の評伝を書くことを思いたち、かれのポルト・アレグレ時代の青春日誌—「山庵実録」なるものを難儀して“解読”しているときである。 かれの日誌は興に任せて自在に書…

中東靖恵(岡山大学大学院准教授) 「“む『ず』かしい”じゃなくて、“む『づ』かしい”でしょう?」 1998年8月、サンパウロ市の南西、サン・ミゲール・アルカンジョ市に住む高知県出身の山本万寿子さん(当時87歳)宅を訪れた。26歳でブラジルに移住した万寿子さん。私がノートに記した「むずかしい」という字を見て、思わず発した一言だ。その日本語には高知方言の特徴がしっかりと現れる。 現代日本語の共…
古杉征己(サンパウロ人文科学研究所) 人文研は現在、男所帯。女性の出入りもあまりない。だから外見はあまり気にかけていない。むさくるしい空間だ。シロアリやシミに侵されてもおかしくない状態だった。 目についていたのは、ソファーとカーテン。長年使い古されて、かなりほころんでいた。「あまり汚いので、ソファーに座りたくない」という人も。 研究団体として資料・文献を活用してもらうのだから、来訪者がちょくちょ…
古杉征己(サンパウロ人文科学研究所) 人文研の奥にある書棚の扉を開けた直後、害虫駆除専門会社の社長、青木明善さん(74、2世)の表情が険しくなった。シロアリの被害が、確認されたからだ。「これはまずいですよ」。シロアリやシミに食い荒らされた棚が、無残な姿をさらしていた。 サンパウロでは近年、シロアリ被害が拡大との報道もあり、約3千冊の蔵書をもつ人文研としても、放っておけない問題だ。 昨年の暮れのこ…

「人類は地上に出現した直後から「移動」と「定住」をくり返つつ、現在までに至ってきているーー。」 これは、文協ビル三階、サンパウロ人文研の薄暗い書庫で初めて手にした『ブラジル日本移民八十年史』の最初の一行である。 世界最大の日系社会が人類史の巨大な流れの中に自らを位置づけて、今や100年に至らんとする自身の歴史を語っていることに、大きな感銘を覚えた。 同時に、国境を越える「移動」が、ますます人間…
エドワード・マック Edward Mack (ワシントン大学シアトル校アジア言語・文学学科教授) ブラジルにおける第二次世界大戦以前の日本語による出版物の市場を調査している。まだ研究の途上ではあるが、現在までに明らかになっているのは次の通りである。 ほとんどの移民が直面したであろう厳しい生活環境にもかかわらず、印刷の需要がすぐに生まれた。それらは、祖国の新聞であり、雑誌であり、また書籍であった。…
熊谷広子(宮城高専助手) わが家は賃貸で築40年木造平屋の一軒家である。9畳のダイニングキッチンに6畳1部屋、4畳半2部屋にトイレとお風呂と2畳の玄関がついて、玄関の前には車2台分は駐車することのできる庭がある。そこに夫婦2人で住んでいる。 去年の初夏、突然、梅干しを自分で漬けてみたいと思った。新聞をめくっていたら、瓶にはいった青梅の写真とやわらかそうにしぼんだ薄赤色の梅が竹ざるに干されている…
小笠原公衛(JICA シニアボランティア) 「戻らなかったら戻らなかったで、しょうないじゃないか」 河合さんのこの一言で、私の日本への帰国が決まった。 ことの背景はこうである。 1979年、人文研が研究生を募集していた。私は旅行者の身で応募した。滞伯が、ビザ延長や出入国で1年に及んでいたが、そんな不安定な身分を承知で、人文研は「入門」を許可してくれた。それからさらに再出入国し、いよいよ滞在延長…
横尾悦子(JICA 青年ボランティア) はじめまして。 JICAより日系社会青年ボランティア23回生としてブラジルに派遣され、サンパウロ人文科学研究所勤務となりました横尾悦子と申します。 2007年7月5日にJAL048便で、南米、ブラジルのサンパウロに降り立ちました。ブラジルに来るのは初めてのことで、南半球は真冬で寒いだろうと思っていたら、摂氏5度まで下がることもなく暖かい日でした。日本の…
山本裕美子(JICA 日系社会青年ボランティア) 暑くなると、アイスコーヒーが飲みたくなる。キンキンに冷えているコーヒーに氷が涼しげに入っているものが。 でも、サンパウロであのキンキンに冷えたアイスコーヒーをお目にかかることは滅多にない。そもそもコーヒーは、小さなコップに濃いコーヒーと砂糖たっぷり入れる物だと確立されているこの国では、アイスコーヒーなんて邪道なのかもしれない。 邪道と言われよう…

田中慎二(サンパウロ人文科学研究所) 本書は当研究叢書はじめての書き下ろし作品である。 当研究所の鈴木正威理事が執筆、6年にわたって丹念に関係者から取材を重ね、資料を詳細に調査、ブラジル日本移民史上数々の業績を遺した鈴木悌一の姿を浮き彫りにした労作で、近くブラジル日本移民100周年記念『人文研研究叢書』第6号として刊行される。 著者:鈴木 正威出版:サンパウロ人文科学研究所 …
松本浩治(サンパウロ新聞記者) 常に写真とのコンタクトが サンパウロ人文科学研究所のホームページのトップ画面に自分の撮った写真を掲載してもらっていることに、はじめに感謝申し上げたい。 白黒写真の紙焼き(プリント)作業をしていて、現像液の中の印画紙に像がジワーっと浮び上がってくる瞬間がある。その時の嬉しさは、「何事にも変えがたい」と言えば大げさか。それが、自分がモノにできたと思うショットであればあ…

現在、ブラジル日本移民史料館では、小笠原公衛JICAシニアボランティアを中心とした特別企画展「“笠戸丸以前の渡伯者たち”-大武和三郎、藤崎商会、隈部三郎を中心として-」が開催されているが、当研究所ではその中、大武和三郎コーナーの設置実現のため、脇坂勝則顧問、田中慎二理事、森田左京監査役の3名が積極的に協力した。以下、関連記事を紹介する。 「移民と歩んだポルトガル語辞書」朝日新聞(2007年6月1…

田中慎二 ブラジル日本移民史料館の第3代館長・尾関興之助(1912─1994)が、コロニア文学振興に果した功績は大きく、人文研との関わりも人文研の前身である土曜会時代からのメンバーで活発な文筆活動を行っている。1950年代に土曜会で刊行していた同人雑誌『時代』を見ると、執筆者には錚々たる顔ぶれが揃っており、内容の充実さはさすがである。参考までに1953年11月に刊行された『時代』15号の目次を紹介…