時 代 第二号(1947) 巻 頭 言
sexta-feira, 18 de janeiro de 2008
1947年に発刊された「土曜会」の同人誌「時代」第二号から、「巻頭言」をそのまま転載する。 第二号で初めて挿入された巻頭言の執筆は半田知雄が担当し、その上には半田による椰子の木と思われる挿絵が描かれていた。
「この社会に何ものかを貢献せんとするとき医者が患者の病状をさぐるが如く、現実を分析しその進転の方向をさぐらねばならぬ」「いかなる誠意も愛情も認識に先立たれたものでなかったら、主観におぼれた独善の行為たるをまぬかれぬ」との言葉に、その後の「土曜会」から「人文科学研究所」への展開が既に予告されている。ただし、後半の言葉には、単なる「現状」認識を越えて、「来るべき」文化運動を意識した半田の態度が表現されていることも、見逃してはならない。
巻頭言
時局の認識は必然的に時代の認識を要求する。
人類の社会は巨大なる生体の如く、その進むべき方向へ自転すると見るのが現代人の常識である。我らはこの社会に何ものかを貢献せんとするとき医者が患者の病状をさぐるが如く、現実を分析しその進転の方向をさぐらねばならぬ。いかなる誠意も愛情も認識に先立たれたものでなかったら、主観におぼれた独善の行為たるをまぬかれぬであろう。
我らはすべて「時代」の子だ。
やがてすぎ去るべき運命にありながら、この世におのが足跡をとどめんとねがうもの。新たに芽生え、のびゆく生命の力となってこそ、過ぎゆく時代を、真に生きぬくものといわれるであろう。
(旧字体・旧仮名遣いは改めた。)