本評伝は、その生涯を移民の風雪や哀歓に生きた画家であり文筆家でもあった半田知雄の生活叙事詩である。
筆者は生前親しく半田に私淑した画家・人文研の前理事の田中慎二氏であるが、半田への熱い想いをこめてその日記をもとにライフワークとして書かれたこの評伝は、筆者の誠実な筆致で、半田の朴訥な人柄と後世に遺る事跡をあますところなく伝えている。
半田知雄は、周知の通りブラジルと移民をこよなく愛する画家としてばかりではなく、常に移民としてのアイデンティティを持ち続け、錦衣帰郷の出稼ぎ風潮一色の戦前から変らぬ永住論を説き、本業の画業に励むだけではなく、常に移民の生活や日系社会の直面する課題について、移民の立場から真摯で地についた発言を続けてきた。「コロニアの良心」といわれる由縁である。
移民画家としての半田の真骨頂は、なによりもブラジルの風物と土に根ざした移民の生活をテーマに製作を続けてきたことにある。少年期を過ごした耕地での思い出や体験をもとに、コーヒー園で働くコロノ(労働者)や、原始林の伐採、村民の生活、農村の祝祭日の風景など、初期移民の農村生活をはじめブラジルの風物詩ともいえる作品群四五点を網羅した絵画シリーズ『移民の生活』は、半田自身の原点でもあり、移民史資料としても貴重な作品として高く評価されている。
まさに著者のことばを借りれば、「時代の風潮や流行におもねらず、一貫して自己の画風を変えず、苦闘と苦悶も続けながら絵筆ひとすじの道を歩まれた半田さんの生き様に、真の芸術家の姿を見る思い」がするのである。
また戦前、日系画家の美術運動のさきがけのサークルとなる聖美会を率先して創り、相互の連帯と研鑽を期す傍ら後進の育成にも当り、その活動が日系画家のブラジルのみならず世界的活躍の基礎となったという業績も欠かせない。
一九一七年、十一歳で両親とともに渡伯した半田は、契約移民としてコーヒー農場に入植し、慣れない農作業に辛酸を嘗める生活を送ったが、そのころの記憶を綴った『少年時代―契約移民として』をはじめ、生涯を通じて克明で浩瀚な日記を残している。
この日記は、単に半田個人の私生活の記録だけではなく、その真摯な思索と内省に基づく生活と意見の記述は、半田その後の七五年に及ぶ日系社会の生きた歴史といっても過言ではなく、それは本書中随所に引用されているが、当時のブラジルや移民社会を知る一級資料といっても差し支えないだろう。
疾風怒濤ともいうべき多情多感な青春の情念の告白、母国からの情報を絶たれ、官憲の干渉と圧迫に耐えながら揺れ動く戦時中の不安な心情、画家として自立するための模索とともに一家を支えなければならない父親としての苦悩、戦後の勝ち負け騒動に明け暮れる同胞社会の混乱、そして一陽来復ののちの日系社会のあり様や文化にたいする考察などは、同時に平行した数々の文筆活動とともに、常に移民の目線で対象を眺め、適切な問題を提起した半田の、幅広い教養と観察のたしかさを物語るものだろう。
また、ユニークなのは、本日記とともにしばしば引用されるさつえ夫人の動静である。画家として一本立ちをするための苦闘を続ける半田を援け、不安定な収入のもとに育児・家事を担う夫人の苦労は並み大抵のものではなかったはずだ。そうした状況における夫婦の葛藤や危機などその機微にふれる記述も見逃せない。栄冠涙ありというが、ここにも移民の成功の蔭に涙した女性の苦闘物語が、引用される夫人の日記によく描かれている。
土曜会の機関紙『時代』をはじめ、新聞や人文研の「紀要」などに発表した半田のエッセイや論文には、移民とブラジルを愛した半田の面目が躍如としているが、そこには常に対象を熟視して思索を重ねた成果を、終始自分のことばと文体を貫いて記述されている。
その集大成ともいうべきものが、三年近い年月を費やして書き上げた大著『移民の生活の歴史』であろう。
本書は、読者の深い共感と支持を受け、ブラジルに関心を持つものや研究者にとって の必読書として高い評価を得ている。その筆致は、「画家独特のスケッチ風のスタイルで 絵筆をそのままペンに代えて、自分の体験した移民の姿」を活写したことが、移民を はじめとする読者層の高い反響を得たものとされている。
本書はポルトガル語にも翻訳されて、一九八九年サンパウロ市歴史アカデミーの歴史賞を受賞した。
また、半田は本書の執筆中に、移民の衰退に伴う資料の散逸と劣化が予想されるのを痛感し、移民資料の収集と保存が急務であることを提言したが、それがのちに移民史料館として結実したことも忘れてはならない功績といえるだろう。
ともあれ、著者の渾身をこめた力作である本書が、江湖の諸氏に広く愛読されることを期待してやまない。
(2013年7月25日訂正)