トランスナショナリズムの視角から見た日本移民および日系ブラジル人研究の戦略的重要性:国際移動者の国境を横断する繋がりの歴史社会学に向けて
柴田寛之(ニューヨーク市立大学大学院センター社会学博士課程)
terça-feira, 20 de janeiro de 2015

はじめに
 筆者は現在アメリカの大学院で社会学の視点から日系ブラジル人の国境を横断する繋がりの研究を行っている。本稿は、主に社会学を中心としたアメリカの移民研究の動向を背景として、ブラジルにおける日本移民および日系ブラジル人の移住過程が、近年急速に注目を集めているトランスナショナリズムという視角にとって戦略的重要性を有していることを指摘したい。そのために、本稿は第一にアメリカにおける移民研究の動向を同化論的パラダイムからトランスナショナルな視角の登場として整理し、第二に、トランスナショナルな視角が現在抱える課題を指摘した後に、第三に、ブラジルにおける日本移民の歴史、そして80年代以降盛んになった日本へのデカセギ現象を総合的に研究することが、そうしたトランスナショナルな視角の抱える課題を乗り越えるための研究上の戦略的重要性を有していることを指摘したい。最後に、試論として、トランスナショナルな繋がりの歴史社会学にむけて、3つの重要と考えられる要因をしてきしたい。本稿の試みは、研究の全体からすればほんの端緒に過ぎない。しかし、ここ20年で新たな研究動向として定着しつつあるトランスナショナルな視角の更なる発展にとって示唆を与えるものと期待する。

アメリカ合衆国における同化論パラダイムとトランスナショナリズム
 世界各地の国々からアメリカへの移民は、その建国の物語そのものといっても過言ではない。そうした歴史を反映し、移民研究は、アメリカの社会科学の中で基幹的な研究領域の1つとなってきた。しかし、その建国の物語は同時に、同国における移民研究の動向に特定の方向性をもたせてきた。すなわち、アメリカにやってきた移民たちがどのようにその社会の中に編入していくのかという点、いわゆる移民の同化過程に主要な関心を注いできたのである。
 このことは、同国の歴史に、人種的排除や移民排斥がなかったということではもちろんない。同国の歴史のもう1つの側面は、むしろ人種的、民族的排除によって特徴づけられる。20世紀中盤まで続いたアフリカ系アメリカ人の人種隔離はつとに有名であるし、20世紀初頭の黄禍論を背景とした日系移民を含むアジア系移民に対する排斥もアメリカの歴史を考える上で無視することはできない。したがって、自由民主主義を自負する同国は、規範的なレベルでは、こうした排除の側面をいかに乗り越えるかという課題に常に直面し続けてきた。すなわち、いかに移民たちがその社会の中に同化していくかという上に掲げた問い、また社会の側の視点からすれば、いかに移民たちの人種的・民族的多様性の中で統合を実現するかという問いは、規範的な課題としても同国にとって常に重要性を帯びてきたのである(Alba and Nee 2003)。
 こうした歴史的経緯を背景として、1920年代のシカゴ学派都市社会学以来、他者としてやってきた移民たちがアメリカの主流社会との間でその他者性・異質性を調停し、主流社会の中へと編入されていく過程が数多く記述され、分析されてきた。また、その諸理論の形成発展の中で、移民の同化自体も、主流社会の支配的な文化社会コードへの移民たちの編入といった単線的なプロセスとして理解されるのではなく、アメリカ社会の多様性、階層性の反映、ないしそうした性質に貢献するものとして捉えられるようになってきた(Portes and Zhou 1993; Alba and Nee 2003)。
 単線的な同化理解から複線的で多様な同化過程へと研究上の問題関心の焦点が移行していくのと並行して、1990年代以降、必ずしも同化や統合を移住過程の最終的な終着点と見ない研究枠組みが登場する。トランスナショナリズムである。グローバリゼーションの進展と共に、国境を越えて移動するヒト、モノ、カネは飛躍的に増加した。と同時に、移動技術の発展は、移動にともなうコストの低下をもたらした1。生まれた社会を離れ、一度移住先の社会へと移り住んだならば出身社会との繋がりは次第に弱まり、そして移住先社会に編入されていく。こうした単線的な同化の物語に代わって、ホスト社会に移動した後も出身地社会との繋がりを様々な形で維持し続けている事例が急速に注目を集めるようになったのである。
 トランスナショナルな視角からの移民研究の嚆矢を切ったグリック・シラーらによれば、移民のトランスナショナリズムは移民がその出身社会と居住先の社会とをつなぐ社会的領域を形成する過程として定義される(Glick Schiller et al. 1992)。そうした越境的社会ネットワークを形成維持するなかで、移民たちはどちらか一方の社会のみに固定されない重層的なアイデンティティを発展させ、また彼らの活動は領域的な社会の境界を越える。
 また、トランスナショナリズムは居住社会への同化ないし編入と必ずしも対立しない。編入の過程とトランスナショナルな過程は、互いに影響を与えあいながら移住プロセスを形作る(Levitt and Glick Schiller 2004; Tsuda 2012)。関係論(relationalism)の視点に立てば、編入のあり方の違いは移民のトランスナショナリズムに影響を与えるし、また逆にトランスナショナリズムのあり方の違いがホスト社会への編入に変化をもたらす。かくして、トランスナショナリズムの登場によって、単線的かつ同質的な同化からより多層的で多元的な移住過程の理解へと移民研究の課題は移行しつつある。

トランスナショナルな視角の課題
 支配的な同化パラダイムに対する批判として登場してきたトランスナショナルな視角は、しかし、それ自体に課題がないわけではない。それはこれまでの研究が採用する認識論的前提自体に関係する。トランスナショナルな視角は、同化パラダイムが領域的な社会を前提としてきたと批判する(Wimmer and Glick Schiller 2002)。これに対してトランスナショナリズムは、越境的な主体、すなわち移民の「下から」の実践に着目する(Smith and Guarnizo 1998; Portes et al. 1999)。グローバル企業などの越境的な活動を「上から」のトランスナショナリズムと捉えるならば、移民のトランスナショナリズムは、なによりもまず移民自身たちの手によって開始されまた実践される諸活動として理解されている。換言すれば、移民の行為主体性(agency)がトランスナショナルな社会ネットワークの何よりもの担い手とされるのである。
 ある社会的関係が構築され、維持され、あるいは変容するのは、行為主体が行う社会的行為によるのだから、移民の行為主体性への着目それ自体に異論はない。しかしながら、行為主体性はそれ自体、制度に媒介された社会的関係に埋め込まれている。そのため、主体の社会的行為は社会的関係に影響を与え、それを変容させていくとしても、そのとり得る社会的行為の幅は所与の社会的関係により制約される(Giddens 1984)。「下から」の実践を強調するトランスナショナルな視角に不足しているのは、その移民たちの実践を方向づける制度化された社会関係への視座である。
 もっとも、既存の研究が制度への視点を欠いてきたと断じるのは公平ではない。例えば、ポルテスとランバートは、様々な移民集団の編入様式の違いを説明する際に、各移民集団が置かれた制度的文脈の差異に着目している(Portes and Rumbaut 2001:46-9)。しかしながら、ここで見逃されているのはそうした制度的文脈の通時的変化である。そこから帰結するのは、制度的な文脈を安定した要素として分析の周辺に位置づけ、トランスナショナルな社会領域の形成と維持を移民の行為主体性から説明しようとする試みである。確かに、社会制度は一度それが構築されると、制度自体の安定性から、変化に対する耐性を発揮する。しかしこのことは社会制度が不変であることを意味しない。長期的な視点に立てば、いかに我々を取り囲む社会制度が変化してきたかは明白だろう。共時的な次元にとどまる限り、移民集団ごとのトランスナショナルな社会領域の編成の違い比較は行えても、そうした長期的な時間経過の中での変化のダイナミズムを分析することは難しい。トランスナショナルな視角をとる研究の多くが、さまざまな事例の発見にとどまり、事象の発生、維持、変容の説明にまでは至っていないのには、以上のような認識論上の前提があるように思われる。

戦略的事例としてのブラジルにおける日本移民
 なぜ移民のトランスナショナルな繋がりは発生し、発展維持され、そしてある場合には変化衰退するのか。こうした問いに応えるためには、移民の越境的なネットワーク形成を運送、コミュニケーション技術の発展の結果として現れた現代に特徴的な現象として捉えていてはこうした問いに答えられない。また同時に、過去にも同様の現象は存在したという指摘も上記の問いへの回答となり得ない。1990年代におけるトランスナショナルな視角の初期の定式化以来、そのような指摘はなされてきた(Foner 2000)。確かに19世紀にイタリアから世界各地に渡って行ったイタリア移民の事例など歴史の中のトランスナショナリズムは知られている(Gabaccia 2000; Choate 2008)。しかし、そうした事例の指摘からだけでは、なぜそうした事象が歴史のある時点において発生し、また衰退したのか、あるいは、過去のトランスナショナリズムと現在のそれとではどのような差異があり、またどの点において共通性を有しているのかという問いに答えられない。必要とされているのは、比較的長期的な歴史的経過の中での移民のトランスナショナリズムの発生、継続、そして変容を捉える視点である。
 同時に、分析される対象も比較的長期的な過程を備えていることが分析の条件となる。まさにこの点で、1908年の笠戸丸に始まる日系ブラジル人の歴史は、移民のトランスナショナリズムの長期的な経過の中での変容の分析にとって戦略的な重要性を有しているのである。
 日系ブラジル人の歴史100年を振り返ってみれば、大きく3期に区分できるだろう。すなわち、国策移民としての性格を持った戦前の日本からブラジルへの移住と定着、勝ち負け抗争を経てブラジルの日系社会を構築していく戦後期、そして1980年代以降のいわゆる日本へのデカセギ期である。それぞれの時期によって、日本とブラジルの日系人との、また逆にブラジルと日本の日系人とのトランスナショナルな関係は変化する。戦前期には、領事館、ブラタクをはじめとした日本の制度を中心にコロニア社会が形成された。そこでは、ブラジルの中で日本が再生産され維持されたという意味で、トランスナショナルな関係は遠隔地ナショナリズム(long-distance nationalism)として捉えられる2。これに対して戦後期は、トランスナショナルな繋がりの潜在化の時期として位置づけられるだろう。すなわち、日本からの制度的介入は著しく減少し、戦後移民を伴いながらも、ブラジル日系人はブラジルの「ニッケイ人」としてブラジル社会の中で社会上昇を果たしていく。とはいえ、このことは彼らの日本人性が消え去り、ブラジル社会へ同化していったということを意味しない。むしろエスニシティとしての日系性は彼らの互助ネットワークの鍵として機能していく。
 1980年代からのデカセギ現象は、大きく経済的理由に動機づけられていると言えよう。また、日本での就労は請負会社が大きく関与し、非正規労働者がその多くを占めるという意味で、ネオリベラルな情勢下でのトランスナショナリズムと捉えられよう。しかしながら、デカセギは経済的要因のみによって説明できるものではない。1980年代のブラジル経済のインフレ期には日系に限らず多くのブラジル人が国外へと移住した。そしてその多くは経済的機会を求めてアメリカ合衆国へと渡った(Margolis 1993; 2013)。しかしながらその中に日系ブラジル人はほとんど含まれていない。もし80年代以降の日系ブラジル人の出移民が、経済的現象に還元できるのならば、なぜアメリカへ渡ったものがほとんどいないことを説明できない。実はその直接の事実関係の説明はさほど難しくない。つとに指摘されているように、日本での1990年の入管法の改正によって、日系人に対する定住者ビザが認められたことがブラジルから日本へのデカセギの背景をなしている。しかし、法改正は、それに先立つ日系ブラジル人と日本との歴史的関係に照らして理解する必要がある。すなわち、笠戸丸以来の日系ブラジル人の歴史を現在のデカセギ現象を含めて総合的に捉えることで、トランスナショナルな繋がりの歴史として語り直すのである。
 この観点から重要なのは、トランスナショナルな繋がりの変容であり、その諸原因である。先に示した3期に渡るトランスナショナルな繋がりの変容はなぜどのように生じたのか。主意主義的に理解される当事者たちの行為ではなく、彼らを取り囲む制度的配置に注目することで、トランスナショナルな繋がりの歴史社会学を構想する機会を日系ブラジル人の事例は我々に与えるのである。

経済、政治、社会:トランスナショナリズムの3つの側面
 ではどのような要因が移民のトランスナショナルな繋がりに影響を与えていると考えられるのか。試論として、ここでは3つの要因を指摘したい。すなわち、国際および国民経済の展開、市民権と国民性をめぐる国家の政策と制度、そして移民の社会的ネットワークを支えるローカルな諸制度である。これら3つの要因は一般的な視点からは経済、政治、そして社会の各領域にそれぞれ対応する。
 第1には経済領域の展開である。国民経済および国際政治経済の展開は、移民のトランスナショナルな繋がりにとって構造的な条件となっている。第1に、国際政治経済の不均衡な発展は国際移民が生じる構造的な背景をなす。国際政治経済における変化はヒトの国際移動およびその定着過程のパターンに影響をあたえる。日系ブラジル人の事例で考えれば、20世紀初頭の日本からブラジルへの移民、戦後ブラジル社会での社会上昇、そして1980年代以降のデカセギ現象は国際政治経済のマクロな変化を背景にしている。第2に、ホスト国での国民経済の展開は、移住者が編入される労働市場内での位置を大幅に規定する。20世紀初頭のブラジルのプランテーション経済はサンパウロ内陸部での農業に日本移民を編入した。戦後ブラジルの工業化と都市化は都市部における雇用機会を生み出した。ひるがえって1980年代以降の日本経済は、日系ブラジル人たちの多くを製造業の非熟練労働者として吸収した。しかしながら、ヒトの国際移動のパターンもトランスナショナルな繋がりのどちらも経済的要因の直接の函数ではない。国家がその過程に介在するからである。このことは第2の要因、すなわち、市民権と国民性をめぐる国家の政策と制度へと我々の関心を向かわせる。
 国家は与えられた国際政治経済環境と国内の社会秩序に照らして自らの利益を促進、あるいは保護しようとする(Skocpol 1985: 8)。その試みの一環として、国家はその領域内外の人口に対して戦略的に政策を実行する。実際に、20世紀初頭の日本からブラジルへの移民は、両政府間の契約移民として行われた。しかし国家の関与はそれにとどまらない。「国際」移民は本質的に政治的な現象であり、国家はその過程に常に介在する(Waldinger and Soehl 2013)。問題となるのは、国家とその人口との関係である。移民の送り出し、受け入れ双方の国にとって、多くの場合、移民人口は潜在的な資源だからである。一方では、受け入れ国はある特定の人々の集団をその政体(body politic)に編入またはそこから排除しようとする(Hammer 1990; Torpey 2000; Zolberg 2008)。他方では、送り出し国もまた、その領土の外に居住する「国民」と一定の関係を保とうとする3。多くの場合、送り出し国は国民性の観念をその領域外に居住する「国民」を包摂する一様式として活用する。これは、市民権が領域的国家内部での構成員資格を規定するのに対して、国民および国民性の観念は必ずしも境界を共有しないからである。
 ここで市民権と国民性の分析的区別が重要である。近代の国民国家はその国家の構成員資格である市民権と国民性を記述的にも規範的にも同一視してきた。しかしながら、この想定された一致は理念型以上のものではない。近代的市民権が領域的な政治的単位の領域の内部でのみ効力を発揮するのに対して4、国民性とナショナリズムは国家の領域のサブレベルで、あるいは領域を跨いで作用する。いずれの場合も国民の境界は、国家の領域的境界と必ずしも一致しない。この乖離から、送り出し国は国外の移民人口の国民性をその領域を超えて制度化しようとする。と同時に受け入れ国はその同一の人口をその政体に組み入れようとする。このことは戦前戦後を通じた日本とブラジルの日系ブラジル人に対する対応に当てはまる。日本政府はブラジルの日本移民に対して戦略的に働きかけ、一種の飛び地(exclave)を制度化しようとした。あからさまな介入は戦後なくなるとしても、その影響は戦後の日系社会の形成に大きく影響を与えている。同時に、ブラジル政府も日本移民をブラジル社会に同化させようとした。特に1930年代には、ヴァルガス政権の国民化政策の下でそれは徹底された。日系ブラジル人のトランスナショナルな繋がりは、こうした2つの国家の国民化政策を背景として発展しまた衰退したと考えられる。
 このことに加えて、市民権と国民性のギャップは日本へのデカセギ還流が生じた際にも検討に価する。1990年、日本政府は民族性の共有の論理により3世までの日系人に対して定住者ビザの地位を認めた。しかしながら、このことは市民権制度の変容そのものを意味しない。むしろ、市民権取得のルールは彼らを依然として外国人として取り扱った。その結果として彼らは日本社会に包摂されると同時に排除されることとなった。これは80年代以降の日系ブラジル人のトランスナショナリズムを考える上での制度的背景となる。
 第3に考えたいのは、移民の社会的なネットワークを支えるローカルな諸制度である。移民たちの互助組織は、受け入れ社会への編入とトランスナショナルな繋がりの維持の双方に対して両義的な役割を果たすことが知られている。一方では、移民たちの組織はその成員たちに働きかけ、出身社会とのトランスナショナルな維持を促す(Smith 1998; 2006)。他方で、移民たちは、彼らの居住社会への編入のためにも互助組織を形成する(Jones-Correa 2013; Smith 2013)。移民たちの互助組織の形態とその密度はかれらのトランスナショナルな繋がりのあり方に影響を及ぼす。では、どのような要因が組織の方向性に影響を与えるのであろうか。上に述べたように、既存の多くの研究はトランスナショナルな繋がりは移民諸個人によって開始、維持されると想定してきた。こうした想定は、移民の社会的ネットワークに関する理論一般とその主張を同じくする。ポルテスは社会的ネットワークに接続された成員の強制力のある信頼関係(enforceable trust)が彼らをして当該ネットワークへの持続的な献身へと導くと論じる(Portes 1998:7-9)。コリアンアメリカンの間の講を例にとり、成員相互間の強制的な信頼がなければ、誰も講に貢献しないだろうし、誰も講の金融機能を活用できないだろうとポルテスはいう(1998: 13)。すなわち、成員間の互恵的な連帯が社会的ネットワークの制度化の原因だとするのである。
 しかしながら、移民の社会的ネットワークへ貢献はその成員間の互恵的紐帯からのみ発生するものではない。移民当人たちの貢献に加えて、他のアクターも社会的ネットワークの維持、発展に貢献しうる(Breton 1991)。戦前における日本の飛び地としてのコロニアの形成は日本政府と移民会社による移民の社会的ネットワークへの資源供給の事例として捉えることができるだろう。戦後期においてさえ、JAMICやJICAの社会ネットワークへの貢献は見逃せない。さらに、地方自治体やローカルなNPOもそれぞれの理由から移民の社会的ネットワークに資源を提供しうる(Tsuda 2006; Jones-Correa 2008; Marrow 2009)。こうしたローカルな制度から移民の社会的ネットワークへの資源供給は、その取り組みが十分とは言えないとしても、日本における日系ブラジル人コミュニティを考察する際に重要な要素となる。
 以上はほんの試論にすぎないが、上記3つの要因に着目して、日本移民そして日系ブラジル人の100年をトランスナショナルな視点から再検討するための概要を試みた。もちろん、これら3つの要因は、相互に関連しあい、その相互作用の中でトランスナショナルな繋がりは形作られると考えられる。したがって、これら3つの要因が具体的にどのように相互に影響を与えあい、結果としてトランスナショナルな繋がりを形成するのかが実証的に研究される必要がある。それは筆者にとっての今後の課題である。

おわりに
 本稿ではアメリカの社会学における移民研究の動向を概観し、その中で支配的な同化パラダイムを乗り越えようと新たな研究視角が生まれてきていること、しかし、その新たな研究視角にも制度的文脈に対する分析の弱さが存在すること、そして何より、日系ブラジル人の100年の歴史を総合的にトランスナショナルな視角から見直すことで、移民のトランナショナルな繋がりの歴史社会学の可能性が開けることを論じてきた。その際に着目できる3つのマクロな要因についても試論的にだが示そうと努めた。
北米はおろかヨーロッパ諸国、そしてアジアの国々で移民の問題は近年大きな注目を集めている。シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)の事件は、移民の問題が急速に政治化していることを悲劇的な形で示してしまった。しかし「今ここ」で起こっていることに反射的に対応していては問題の本質をつかみ損ねることになるだろう。長期的な歴史の中で移民の問題を理解しようと努めることで初めて「今ここ」で起こっていることの理解と解決への筋道が見えてくる。この意味で、日系ブラジル人の100年の歴史を検討することは移民研究そのものにとって戦略的重要性を有しているのである。


 1とはいえ、後に述べるように、運送技術の発展がトランスナショナルな社会関係の主要な原因であると結論付けるのは早計である。
 2無論、全てのコロニアを画一的に遠隔地ナショナリズムとして捉えられるわけではないし、「日本」の再生産も日本社会の完全なる複製としてのそれではない。何が遠隔地ナショナリズムを再生産する要因だったのかは、コロニアの比較を通じて分析されるだろう。
 3送り出し国が在外同邦に対して包摂的な政策をとる事例は地域、時代をまたがって広く存在する。その主要な事例は以下を参照のこと。Brubaker (1996); Ong (1999); 長崎(2004; Park and Chang (2005); Choate (2008)。
 4外交的保護のケースを除く。

参考文献
 Alba, Richard, and Victor Nee. 2003. Rethinking American Mainstream: Assimilation and Contemporary Immigration. Cambridge: Harvard University Press.
 Breton, Raymond. 1991. The Governance of Ethnic Communities: Polítical Structures and Processes in Canada. New York: Greenwood Press.
 Brubaker, Rogers. 1996. Nationalism Reframed: Nationhood and the National Question in the New Europe. New York: Cambridge University Press.
 Choate, Mark. 2008. Emigrant Nation: The Making of Italy Abroad. Cambridge: Harvard University Press.
 Foner, Nancy. 2000. From Ellis Island to JFK: New York’s Two Great Waves of Immigration. New York: Russell Sage Foundation.
 Gabaccia, Donna R. 2000. Italy’s Many Diasporas. Seattle: University of Washington Press.
 Giddens, Anthony. 1984. The Construction of Society: Outline of the Theory of Structuration. Cambridge: Polity Press.
 Glick Schiller, Nina, Linda Bash, and Szanton Blanc, eds. 1992. “Toward a Transnational Perspective on Migration,” Annals of the New York Academy of Science, 645.
 Jones-Correa, Michael. 2013. “Thru-Ways, By-Ways and Cul-de-Sacs of Immigrant Political Incorporation.” Pp.176-91, in Jennifer Hochschild, Jacqueline Chattopadhyay, Claudine Gay, and Michael Jones-Correa, eds., Outsiders No More? Models of Immigrant Political Incorporation, New York: Oxford University Press.
 Jones-Correa, Michael. 2008. “Race to the Top? The Politics of Immigrant Education in Suburbia.” Pp. 308-40, in Douglas Massey, ed., New Faces in New Places: The Changing Georraphy of American Immigration. New York: Russell Sage.
 Levitt, Peggy, and Nina Glick Schiller. 2004. “Conceptualizing Simultaneity: A Transnational Social Field Perspective on Society,” International Migration Review, 38(3): 1002-39.
 Margolis, Maxine L. 1993. Little Brazil: An Ethnography of Brazilian Immigrants in New York City. Prenceton: Prenceton University Press.
 Margolis, Maxine L. 2013. Goodbye, Brazil:Émigrés from the Land of Soccer and Samba. Madison: The University of Wisconsin Press.
 Marrow, Helen B. 1999. “Immigrnat Bureaucratic Incorporation: The Dual Roles of Professional Missions and Government Politics,” American Sociological Review. 74: 756-76.
 長崎暢子. 2004. 『インド:国境を越えるナショナリズム』東京: 岩波書店.
 Ong, Aihwa. 1999. Flexible Citizenship: The Cultural Logics of Transnationality. Durham: Duke University Press.
 Park, Jung-Sum, and Paul Y. Chang. 2005. “Contention in the Construction of a Global Korean Community: The Case of the Overseas Korean Act,” The Journal of Korean Studies, 10(1): 1-27.
 Portes, Alejandro, and Min Zhou. 1993. “New Second Generation: Segmented Assimilation and Its Variants,” Annals of the American Academy of Political and Social Science, 530: 74-96.
 Portes, Alejandro, Luis E. Guarnizo and Patricia Landolt. 1999. “The Study of Transnationalism: Pitfalls and Promise of an Emergent Research Field”, Ethnic and Racial Studies. 22(2): 217-37.
 Portes, Alejandro, Rubén Rumbaut. 2001. Legacies: The Story of Immigrant Second Generation. Berkeley: University of California Press.
 Portes, Alejandro. 1998. “Social Capital: Its Origins and Applications in Modern Sociology,” Annual Review of Sociology, 24: 1-24.
 Skocpol. Theda. 1985. “Bringing the State Back In: Strategies of Analysis in Current Research.” Pp.3-37 in Peter B. Evans, Dietrich Rueschmeyer, and Theda Skocpol, eds., Bringing the State Back In. New York: Cambridge University Press.
 Smith, Michael Peter Smith, and Luis Eduardo Guarnizo, eds. 1999. Transnationalism from Below, New Brunswick: Transaction Publishers.
 Smith, Robert C. 1998. “Transnational Localities: Community, Technology and the Politics of Membership within the Context of México and U.S. Migration,” PP.196-238 in Michael Peter Smith and Luis Eduardo Guarnizo, eds., Transnationalism from Below. New Brunswick: Transaction Publishers.
 Smith, Robert C. 2006. Mexican New York: Transnational Lives of New Immigratns. Berkeley: University of California Press.
 Smith, Robert C. 2013. “Mexians: Civic engagement, Education, and Progress Achieved and Inhibited.” Pp.246-66, in Nancy Foner, ed., One Out of Three: Immigrant New York in the Twenty First Century, New York: Colombia University Press
 Tsuda, Takeyuki. 2012. “Whatever Happened to Simultaneity? Transnational Migration Theory and Dual Engagement in Sending and Receiving Countries,” Journal of Ethnic and Migration Studies, 34(4): 631-49.
 Tsuda, Takeyuki. Tsuda, Takeyuki. 2006. “Localities and the Struggle for Immigrant Rights: The Significance of Local Citizenship in Recent Countries of Immigration.” Pp.3-36, in Takeyuki Tsuda, ed., Local Citizenship in Recent Countries of Immigration: Japan in Comparative Perspective, Lanham: Lexington Books.
 Waldinger, Roger, and Thomas Soehl. 2013. “The Political Sociology of International Migration: Borders, Boundaries, Rights, and Politics.” Pp.334-44 in Steve Gold and Stephanie Nawn, eds., The Interenational Handbook of Migration Studies. London: Routledge.
 Wimmer, Andreas, and Nina Glick Schiller. 2002. “Methodological Nationalism and Beyond: Nation-State Building, Migration, and the Social Science,” Global Networks, 2(4): 301-34.


サンパウロ人文科学研究所 Centro de Estudos Nipo-Brasileiros