鈴木正威元顧問逝去 -追悼のメッセージ-
本山省三(理事長)
segunda-feira, 27 de abril de 2020

去る4月18日、鈴木正威元顧問が永眠されました。88年の生涯でした。

私が鈴木正威さんと初めてお会いしたのは二十年も前のことです。その頃、脇坂勝則、河合武夫両氏の厚意で人文研の理事長になった私はいくつかの問題を抱えていました。その一つは人文研の人達と意思疎通が必ずしもうまくできないことでした。物理学出身で科学史技術史専門の私は日系社会には疎く、いろいろなことに戸惑っていました。そんな私を温かく見守り助けてくれたのが鈴木さんでした。彼はもともと親切な人で後輩の面倒を見るのが好きなようでした。そのことは最近人文研に入った人たちが声を揃えて話していることです。私もその一人です。鈴木さんのお陰で人文研にスムーズに溶け込むことができました。そうして私が受けた印象は好々爺だということでした。ところが彼の経歴を見て驚きました。なかなか波乱に満ちた人生を送られています。波乱に満ちたと言うと大げさの様に聞こえますが、満州事変(1931年)の翌年、中国の山東省青島市に生まれ、幼少年期を戦火燃え盛る第二次世界大戦下に中国で過ごしたことからもうかがえます。1946年に日本に引き揚げ、1956年に早稲田大学政治経済学部経済学課を卒業して1959年にブラジルに移住しました。その後、日本語の普及に携わり、日本語教科書刊行委員会事務局長、日本語普及会事務局長を務められ、1974年には日伯文化連盟の理事になり日本文化のブラジルへの普及に寄与されました。同年、二チボー商事を設立して輸入輸出業務に乗り出し、30年間、活動なさいました。その間に長兄の会社の中国進出に伴い、1992年から2001年にかけて三回にわたり中国に赴任し、満6年間、生まれ故郷の青島の他、上海、河北省で仕事するという異色の経験も持ち合わせておられます。

人文研では1998年から20年間以上、理事会の要職(第一会計理事、理事、第一書記理事、所長、顧問)を務め、研究所の発展に貢献されました。忙しい中でも研究を怠らず2007年には彼が最も尊敬した日系コロニアの文化人の一人、鈴木悌一氏の伝記を表し、530ページの大著に移民文化の一コマを見せてくれました。移民文化の研究こそ正威氏の念願であったと思われます。晩年はそれを後継に託すため、多くの研究者への支援を惜しむことなく、活動を続けて下さいました。

心からの感謝の気持ちを込めて、ここに哀悼の意を表します。


サンパウロ人文科学研究所 Centro de Estudos Nipo-Brasileiros