アナスタシア
1740 年、ドレイ船がリオに到着したとき、船中にはコンゴからのドレイ112名、そのなかに王様の家族がいました。王様の妹の娘がアナスタシアの母親デルミンダで、妊娠中でした。買い手はアントニオ・ロドリゲス。そう、有名なバンデイランテです。アントニオ・ロドリゲスはミナスの中西部で鉱山をやっており、そのとき、全員を100レイスで買い上げました。一山いくらの感覚で買い上げたわけで、当然値切っています。お腹の大きかったデルミンダはバンデイランテの孫の奥さんに買われました。確か妊娠中の奴隷は値段が高かったはずです。家畜が増えるのと同じ感覚。
思い出すのは開墾生活をしていたころ、自家用に豚も飼っていたのですが、新しく買ってきたメス豚が、思いがけずに孕んでいたりしたら、家長たちはホクホクでした。こう考えると、やはり、ドレイは心情的にもセニョール側にとっては家畜同様だったのだという気がします。
デルミンダのこの女主人、大地主でバイアに隣接する土地をたくさん持っていました。アナスタシア本人が生まれたのもこの辺り。ドレイの子は美しい娘に成長します。すると、息子が横恋慕。横恋慕という言葉は適当でないかもしれません。ドレイは主人のモノだった時代。金を与えて寝ようとしました。金を与えようとしただけ、ましかなとも思います。当然の権利として力づくで組み敷くことができたはずですから。アナスタシアは頑として受け付けません。それが元で追跡され、虐待され、最後には鉄の仮面をかぶせられます。やはり、アナスタシアは美しかったのだろうと思います。これは男の嫌がらせ。俺のものでないなら誰のものにもしないという自己本位の心理。アナスタシアはそのまま死ぬまでドレイ小屋、という人生を送ります。
ちょっと、伝説くさいのですが、ピタンギの公文書役所にちゃんと記録があるそうですから、あながちでっち上げではないのでしょう。友人のアナ・パルメリアの名前による売買証文もありますが、これも当時よく使われたテ。本人ではなく、友人や知り合いの名前でドレイを買うのも珍しくなかった時代です。
それが1968 年になって、突然、アナスタシアの肖像画が発見されました。リオのロザリオ教会が奴隷解放90年を祝したときに、画家アラゴの手による肖像画が出てきたのです。それを機に奇跡の「アナスタシア教」が創設されます。ドレイ・アナスタシアの礼拝堂がリオに建設され、現在では2千8百万の信者を持つといわれています。サンチニャとよばれる小さなカードには、鉄の仮面をかぶせられたアナスタシアが印刷され、アフリカのアンゴラの女王の子で、バイアで育ったと書かれているそうです。また、鉄の枷が首に食い込んで、けっきょくアナスタシアは壊疽で死ぬことになります。鉄のさびが肉体を侵食したのです。女の意地、男の嫌がらせも、ここまで徹底すれば脱帽です。
この連載についての問い合わせは、michiyonaka@yahoo.co.jpまで。