5)マンエ・ベンタ
お菓子屋の元祖といえばいいのでしょうか。料理が好きで、それで息子を養っていました。鶏卵と砂糖でみんなを喜ばせるものができないかと考案されたのが、「ボリニョ・デ・シューバ」。日本では「揚げドーナツ」などと呼ばれているようですが、これがブラジルの料理史の中に名をとどめる快挙となります。「ドナ・ベンタ」印のスパゲティーや小麦粉。私も使用しているひとりですが、このマンエ・ベンタあたりが命名の起源になっているのかなと思います。ベンタおばさんは菓子を作って息子に教育を受けさせたのです。息子は後に上院議会の上級公務員になりましたから、ベンタおばさんも頑張った甲斐があるというもの。日系社会にもよくみられた話で、ホロリとなりますよね。
さて、息子と仲のいい神父がいて、いつも、三時になるとやってきて、ベンタおばさんの作るボリニョを食べました。あまりのおいしさに、教会でつい吹聴。みんなは真似てみるのですが、ベンタおばさんのようにおいしくできません。ケルメッセには、ベンタおばさんのボリニョを買うのにいつも行列ができたほど。教会は緘口令を敷き、作り方を一種の企業秘密にしました。でも博愛主義の教会がそんなことをしてもいいんですかねえ。こんな歌まではやりました。
「ベンタおばさん、ボリニョを作ってよ。
だめだめ、兵隊さん。
ボリニョはイアイア様のもの。
誰にでも作るわけにはいかないの」
19世紀の初頭、リオで歌われたものだそうです。
ボリニョ・デ・シューバは、開墾生活をしたとき、おやつに私たちもずい分食べました。小麦・卵・砂糖はどんな辺鄙な場所でも容易に入手できるので、ブラジル人なら子どものときみんなが食べているはずです(企業秘密だったのにどこからか漏洩)。そういえば、Veja São Pauloという週刊誌のコラムにも 先週、ワルシル・カラスコがずばり「ボリニョ・デ・シューバ」と題して書いていましたね。スペイン人の祖母が作ってくれた懐かしい味だといっています。みんなの記憶にある郷愁の味。洋の東西を問わぬお袋の味なのです。先日、久しぶりに作ってみました。昔の味を舌が覚えていて、ああ、味覚というのは記憶に残るなと感慨深く口に運びました。
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