8月27日、文協ビル1階小会議室において、本年度第一回目の研究例会が開催されました。お話ししてくださったのは、小嶋茂氏(JICA横浜)でした。テーマは「日系人定義の変容とnikkeiアイデンティティ」というもので、「移民」「日系人」「nikkei」など非常によく用いられている表現の意味合いが時代と共にどのように変わってきたかを説明して下さいました。
事の発端は江戸時代まで遡り、ペリーの日本来航により開国がなされ、また日本から海外への渡航が解禁されたことに始まります。その後20年を経ずして、第一回官約移民が1885年にハワイへ送り出されることになりますが、その時までには既に「移民」という言葉が使われるようになっていたようです。
「労働を目的として外国に渡航する者」と定義されていた戦前の「移民」は、同時に「邦人」という言葉によっても表現されていましたが、しかし、戦後においては「他国に定着することを目的とする」人を指すようになり、「邦人」が一時滞在者をも含めるという点において区別されるようになります。
「移民」たちが定着先において形成したコミュニティーは、ブラジルにおいて戦前では「在伯同胞社会」、また戦後、「日系コロニア」「日系社会」と呼ばれるようになりましたが、これを構成するいわゆる「日系人」というのがだれを含むのか、これもまた時代と共に変わっていきます。
例として、2008年のブラジル日本人移民百周年でのエピソードが紹介されました。「日系(またはnikkei)」の顔としてブラジルメディアに用いられたSabrina Satoさん、またミス100周年に選出されたKarina Eiko Nakaharaさん、共に非日系の複数の血統を受け継いでいました。これが20年前の八十周年の際にはこういった背景の人が「日系人」として受け入れられることはありませんでした。
このような変化は日本側、外務省の「日系人」定義にも見られます。当初は「日本国籍を有さないが、民族的に日本系と考え得る者」というものでしたが、「血統だけではその範囲を画し得ない」というふうに見方が変わってきました。
一方、アルファベットで表記される「nikkei」の定義は、先祖に依存する問題ではなく、state of mindを扱う問題であり、日系コミュニティーと価値を共有する人たちを「nikkei」とするという定義が2000年サンフランシスコで開かれた日系人会議の報告書に見出されます。
また、2001年ニューヨークで開催されたCOPANI(全米日系人大会)のワークショップにおいても報告書の中で暫定的であることを断りながらも、一人以上の日本人の先祖を持つ人、(そして/あるいは)自分で「nikkei」であるというアイデンティティーを持つ人という定義が示されました。
このように「日系」および「nikkei」の定義は、国籍や血統、そしてアイデンティティ(帰属意識)をめぐりいろいろな変遷を遂げてきました。海外へ日本人が渡航するようになり、永住化が起こり、帰還、還流、またその後他の外国へ再移住する多点還流など行動が多様化、輻湊化していく中で、さまざまな顔の「nikkei」たちが世界中に増えていることを示す客観的なプレゼンテーションでした。