7月10日、文協ビル1階小会議室にて講演「アルゼンチン一世の文学活動――増山朗の『グワラニーの森の物語』を中心に」(講師・細川周平氏)が行なわれました。
増山朗(ますやま・あきら)は1919年に北海道にて生まれ、1939年に外務省実習移民としてアルゼンチンへ渡航しました。首都ブエノス・アイレス郊外で花卉栽培を行ない、2006年、ふたたび日本の土を踏まずしてブエノス・アイレスで死亡しました。1989年に創刊された文芸雑誌「巴茶媽媽」(パチャママ)の中心人物のひとりでもありました。アルゼンチンでは古くから日本語による新聞が発行されていますが、「文芸付録」以外に、文芸雑誌というものは存在しなかったようです。増山朗はこの「巴茶媽媽」にアルゼンチン日系文学史上初の長編小説『グワラ二ーの森の物語』を掲載しはじめましたが、「巴茶媽媽」の廃刊とともに作品が未完のまま終了しました。
それまで短編小説しか書いたことのなかった増山ですが(のちに彼はイディッシュ語作家のショーレム・アッシュの翻訳にも手を出します)、『グワラニーの森の物語』について、細川氏はこう述べています――「書いたということが大事、というのが基本的な立場です。優れているか優れていないかは別として、文芸サークルがありますと、必ずだれかが書いています。書こうとしている意図のほうを私は汲み上げようとして、研究をしてきました」。
『グワラニーの森の物語』は尚吉とナルシサ夫婦の末子アンヘリートの死の場面から始まり、実在人物の田中誠之助と歸山徳治一家の登場によってアルゼンチン移民の歴史と絡み合いながら展開して行きます。小説の中へアルゼンチンの事情についての長い説明が挟まれ、よみものと小説・フィクションをあわせた構造になっています。このようなつくりは司馬遼太郎の小説と似通っているところがあると指摘し(たとえば日露戦争を主題とする小説の中で、日本の船舶についての説明が載っていたりすることなどがあるのと同じように)、「こういうことを書きたかったというほうから読んでみました」と細川氏は解釈を示しました。
さらに興味深い点として、増山は原住民と日本人の同祖論を主張するという、ブラジルで一生を過した香山六郎と相似た発想の持ち主でもありました。
16名の出席、1時間20分に亘る会でした。