マリアナ・クリオラ
時代はずっと下って、もう19世紀に入ってからです。マリアナはリオ・デ・ジャネイロのヴァソーラという町に住んでいたフランシスカという裁縫師のムカマ(小間使い)でした。ジョゼという黒人の農民と結婚していたのですが、「カーザ・グランデ(主人の邸宅)」に寝起きしていました。
1838 年、フルミネンセ地方で未曾有の暴動が起きたとき、その中核となったのがフランシスカのコーヒー農場でした。ここからドレイが大量に逃亡、ついで第二農場も破られます。首謀者は鍛冶職のマヌエル・コンゴ。マリアナはすでに200人を数える逃亡ドレイをひきつれ、マンチケイラ山脈の森林に逃げこみます。ここでキロンボを形成し、「女王」とよばれるようになります。マノエル・コンゴが「王」です。
そのうち政府軍の襲撃を受け、マリアナは捕らえられ激しく抵抗しながら「捕虜はいやだ、死こそ望むところだ」と叫びました。
つづいてコンゴも捕らえられ結局暴動は鎮圧されます。何とか逃げのびることができた者は元の主人にところに逃げ帰るために、近隣の農場主に仲介人を頼みました。残虐な体罰が怖かったのです。
捕まったのは女が7人、男が9人。勇敢に死を希望したマリアナでしたが、裁判の席上、詭弁を弄して「仲間から唆されたからだ」と申し立てました。何人もがキロンボの女王だったと証言したにもかかわらず、無罪。当時は女性は男性に隷属するものだと考えられており、帝国の刑法そのものが女性に寛容だったようです。まあ、女を社会的に一人前として認めていなかったということでしょう。
カッコウ悪いなあと思いながら、人間は弱いものだから、見方を変えればかわいい女になるのかなあと嘆息。年齢30 歳。若いからまだまだやりたいこともあったのでしょう。反対に捕らえれた男性には過酷な暴動罪が課されました。鞭打ち650回。毎日50回ずつ、150日間ムチで叩かれるわけです。さらに3年間クビに鉄の輪をはめられました。首謀者のマヌエルは全責任を負わされて絞首刑。やはり、女にはずいぶん甘い。無罪ですからね。マリアナも案外、主義主張ももたず、尻馬に乗って騒いだだけかもしれませんけどね。
写真:マスクを被せられて、罰せられるドレイ
この連載についての問い合わせは、michiyonaka@yahoo.co.jpまで。