サルバドールにはカピトン・ド・マットとよばれる逃亡ドレイを捕獲して、賞金を稼ぐ男たちもいました。マッシャード・デ・アシスは「父親X 母親(Pai contra Mae)」という短編の中で、逃亡ドレイと賞金稼ぎの男を描いています。マッシャード・デ・アシス自身も父親が黒人で、しかもどもりで癇癪もちというハンデイを背負っていました。ただ、同じ弱い立場の人間としての思い入れはなく、あくまでも、第三者的に描写しています。
『(カンジド・ネベスは)・・・急いで出ると道をわたり、女に気づかれずに捕まえることができる距離まで行った。道の突き当たり。女がサンジョゼの坂を下りようとするところに、カンジドは近づいた。彼女だった。まさしく逃亡中のあの半黒の女。
「アルミンダ!!」とはり紙に書かれていた名前を大声で呼んだ。
アルミンダは何の気なしに振り返った。男がポケットからロープを取り出し手首にかけたとき、事態をさとり逃げようとしたが、もう遅かった。カンジドは太い腕で手首をつかむと、歩けといった。奴隷の女は助けてくれと叫ぼうとしたが、誰も助けにきてはくれるはずはないとさとると、諦めた。そこでお慈悲だから、放してくれとたのんだ。
「赤ちゃんがいるんです。お願いです」と言った。
「あなた様にも子どもがいたら、その子のことを考えて、放してやってください。いつまでも、あなた様の奴隷になって仕えます。お若い方、どうぞ、放してやってください」
「来い!」とカンジドは言った。
「ぐずぐずしておられないんだ、来い!」
もみあった。女奴隷はうなり、わが身とわが腹の児のために脚を踏んばった。通りがかった人も店先の人たちも何が起こっているか分っていたから、動こうとしなかった。アルミンダは引きずられながら、当主のセニョールがどんなに悪い人間かと訴えた。きっと、ムチで打たれる。身重の自分にムチをふり上げるだろう・・・
「お前が悪いんだよ、誰が子どもを作ったんだ、誰が逃げたんだよ」
カンジドはあざ笑った。』 (訳・中田みちよ)
カンジド自身も食べていけずに、教会の「拒まれし者の扉」にわが子を捨てに行く途中でした。この「拒まれし者の扉」実はPorta dos Enjeitadosの直訳。第二義が「捨てる」なんです。最近は「赤ちゃんポスト」というようですが、あの時代、まさかポストでもあるまいと考えました。そういえば「天使の宿」とよぶ九州の病院もあるといいますが、これもニュアンスがあわない。「赤ちゃんポスト」の扉のイラストが赤ちゃんを運んでいる二羽のコウノトリ。まるで幸せな産院のイメージ。これも何か違和感がある。どこかがずれているような気がします。捨て子扉にコウノトリ。単刀直入にいえば捨てる側の視線がないんじゃありませんか。
それはともかく、翻訳の際に悩んで時間をとられるのがこんなテアイ。カンジドの妻はクララというのですが、この女房、稼ぎの悪い亭主のために内職に「縫い物」をしているという設定。現代にも通じる内職の意識が芽生えたのはこの頃なのか、という発見があります。
研究家は黒人の主人公たちにカンジド(純白)やクララ(卵白)と命名したのは、マッシャド・デ・アシスの痛烈なアイロニーだといいます。白(人)と黒(人)を鮮やかに対比させ、タイトルの「パイ・コントラ・マンエ」に引っ掛けているのだそうです。
自由ドレイになるために、自分自身を身請けしたドレイもいました。仲間同士がわずかな割り当て金を出しあって積み立て、その金を奴隷の主人に払って身請けするものでした。18世紀のミナスの金鉱地帯で盛んに行われたといいます。
ベルナルダ・デ・ソウザ
17 世紀の半ばまで、リオに住んでいたドレイです。こつこつとお金を溜めて、主人から我と我が身を買いとり、自由になってからフランシスコ某と結婚しています。この辺までは、美談。ベルナルダのすごいところは、自分の自由を買い取ったばかりでなく、自分に仕えるためのドレイも買いとったことです。さらに、実母もドレイとして買い取り、長い間、女中としてこき使っています。この屈折した複雑な心理。何だか、現代でも通用しそうです。
その後、未亡人になり、体も弱ったベルナデタは、死を恐れるようになりました。現在でもそうですが、当時の植民地社会では遺言なしで死ぬと財産は州政府に没収されました。すると、母親は競売に付されます。そこで、初めて母親を解放しました。ベルナデタにも言い分があって、母親をドレイにしていたのは、「保護する義務を感じたから」、軟禁状態にしたのは「話し相手が必要だったから」と申し開きをしています。
コロニア社会でも、昔、姑で苦労した人が、立場が代わって姑になると、嫁いびりをしたとか聞きます。虐待されて成長する子は虐待する大人になるということなのでしょう。
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