(2)エスペランサ・ガルシア
イエズス会を追放したあとの王室の農場に所属していたドレイで、結婚し、ピアウイに住んでいました。先住民の教化にずいぶん精力的だったイエズス会ですが、インジオをドレイとして使うセニョール側とは相容れず、いろいろな経緯を辿りながら結局、衰退してしまいます。
夫婦で農場に住んでいたのですが、ナザレにある検閲本部の炊事をさせるために連行されます。夫が恋しくて何度も農場に逃げ帰り、そのたびに拷問を受けました。そこで、ピアウイ州知事に手紙を書いたのです。
『知事閣下様
私はアントニオ・ビエイラ大尉が管理している閣下の農場のドレイでございます。亭主もおります。アントニオさまが管理するようになってから、私は夫婦で住んでおりました農場から引き離されて、ここで料理をするようになりました。
ここでは大変難儀をしております。まず、上の子は何時も口から血が出るほど殴れています。私はといえば、まるで砂袋のように殴られどうし。いつかは下の家まで殴り飛ばされました。お慈悲でございます。三年も主人と別れ別れに暮らしています。私には洗礼を受けさせなければならない子どもがまだ二人おります。
閣下様、神の愛にかけてお願いいたします。私をかわいそうに思われ、お力で亭主と洗礼を受ける娘がいる農場に帰してください。
あなた様のドレイ エスペランサ・ガルシアより』
この手紙といっしょに夫が恋しくて農場に逃げ帰り拷問を受けたことを記す他の書類も見つかり、エスペランサは放免されます。こんな直訴状は初めてだということです。夫が恋しいと赤裸々にいうところもかわいいし、係官も真情に打たれたというべきでしょうか。ミミズが這ったような筆跡が眼に浮かんできます。代筆業が出てくるナショナル映画「セントラル・ステーション」を思い浮かべました。確か98年にベルリン国際映画祭に出品され、グランプリンンの金熊賞を獲得。
サンパウロに出稼ぎに来ている女たちが、東北地方に住む親類に代筆を頼んで消息をつたえ、送金まで頼むという話を軸にいろいろ展開するのですが、大都市におけるストリート・チルドレンや人身売買、非識字者など大都市が抱える問題を見せてくれます。頼まれたほうは、それを自分のポケットに入れてしまう。まさにブラジル人がやりそうなこと。うす暗い映画館で思わず苦笑いしました。
セニョールと奴隷の間にできた男子が、実母を自由ドレイに解放した例もあります。こんな手紙がカンピナスでも、見つかっています。
「わたしことイジドロ・グルゲル・マスカレニャは、所有財産の一部として譲渡された・・・アナという名を持つドレイの所有者です。父から財産の分け前の一部として譲られ・・・、当のドレイは私の母であります。昨日の結婚式をもって成人となった今日、私はドレイの母を解放できる権利があると自覚し、こころから母を自由にできることを悦ぶものであります」
話を戻します。森林に逃げ込んだドレイたちはここで姓を持つことになります。ブラジルで一番多い姓が「シルバ」。シルバは森なのです。それから多いのが神である「サントス」。両姓とも多く、この人たちの祖先は一応この森林に逃げ込んだドレイだと考えられます。1871 年に「奴隷解放令」が発効されますが、そのときも多数の「シルバ」や「サントス」が出現しました。「神の子・森の子」として、天下晴れて戸籍をもつことになったのです。ペレの本名もエジソン・サントスですから、先祖はこの辺りなのでしょうか。「シルビオ・サントス」はどうなるのかなあ。庶民を代表するつもりで命名した芸名なら、やはりすごい人だと、詮もないこと考えています。
写真:ドレイ里の風景
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