横尾悦子のツアー体験記(1) レジストロ移住地の日系人
quarta-feira, 14 de maio de 2008

サンパウロ人文科学研究所に勤務しております日系社会青年ボランティアの横尾悦子です。2008 年4月19日(土)から21日(月)の祝日(チラデンテスの日)を含む24日(木)までブラジル日本都道府県人会連合会主催のふるさと巡りツアーに参加してきました。行き先はレジストロ、イグアッペ、フレイ・ロジェリオ(ラーモス移住地)、ドイツ・イタリア移民の町フライブルゴ、イタリア移民の町タンガラーとオーストリア移民の町トレーゼ・チーリャスです。

午前8時、サンパウロよりレジストロへ向け、寝台バスで出発しました。5泊6日の長い旅の始まりです。

レジストロへ向かう途中、エンブーの町の近くになると、バスガイドさんが、日本語でエンブーの町の説明をしてくれました。この町はサンパウロより古く、山の中にUFOの基地があるという噂があるそうです。とても面白く、日本語とポルトガル語を話せるバイリンガルの楽しいバスガイドさんでした。

午前11時半、レジストロに到着し、昼食後、レジストロの町を案内してくれるガイドさんとともにレジストロの町を歩きました。そのガイドさんの話によると、レジストロ移住地の日系人は、出稼ぎではなく、移住目的で来られた方が多く、比較的ブラジル人と結婚するのが早かったそうです。今年、2008年、レジストロ入植95年目を迎えて、今年6月18日にはブラジル日本移民100周年を迎えます。レジストロ移住がいかに早く、歴史的であるかがよく分かり、日系社会の勉強になりました。

次に案内してくれたのは、ブラジル日本移民100周年記念のモニュメントでした。

その1つが彫刻家の豊田豊さんの作品『自由への道』で、去年2007年9月7日に落成された高さ7mもある大きなモニュメントでした。豊田さんは、廃材を使用してモニュメントなどを作る世界中に名の知られた作家だそうです。

もう1つは、造型作家の大竹富江さんの作品『グゥラサイの花』でこちらも高さ7m、重さ40tもある大きなモニュメントでした。大竹さんはレジストロに入植した1913年にお生まれになられたそうです。グゥラサイというのは木の名前で、レジストロの一番高い所にあり、その木はレジストロのどこからでも見る事ができたそうです。しかし、ある日、地主のブラジル人がその木を切ってしまい、大竹さんはグゥラサイの花を思い出しながら、作製されたのだろうと思います。

100周年記念のモニュメントは全部で7つあり、4月22日にさらに2つ新しく出来て9つとなるそうです。

モニュメントを見学した後は、元KKKK(海外興業株式会社)の建物を改装した移民資料館でした。移民資料館の中には、大木を切る時の大きな鋸、当時のパスポート、レジストロに到着したご家族の写真、笠戸丸の模型、燈籠流しの燈籠、『レヂストロ郡現勢概覧』(1963 年7月)の本、『レジストロ植民地の六十年』(六十年史刊行委員会)の本、『レジストロ・コロニア実態調査』(80周年)の本、測量器具、鎌、除草機、製茶用の機械などが展示されていました。レジストロは岐阜県中津川市と姉妹提携を結んでいて、中津川市は林業が盛んで、移民資料館の中には中津川特産桧製品、中津川市のパンフレットやレジストロと中津川市が姉妹提携を結んでいることを紹介した雑誌なども展示されていました。

午後5時、ホテルからレジストロ本派本願寺教会(浄土真宗)へ法要をするため出発しました。午後6時20 分に法要を終え、レジストロ日伯文化協会に午後7時到着しました。レジストロ日伯文化協会の方々に歓迎され、美味しい夕食を頂きました。マンジューバというわかさぎのような魚の刺身とから揚げを食べ、サンパウロではあまり魚介類を食べないので、久しぶりに刺身を食べることができ、嬉しかったです。

レジストロ日伯文化協会会長が「・・・日本文化が100年前ブラジルに根付いた。これからの100年は、ブラジル人と共に受け継いでいってもらいたい」などと挨拶されました。ブラジルに移住した先人の方々が頑張ってこられたからこそ、ブラジル日本移民100周年を祝えるのだと思います。これからは日系人だけではなく、ブラジル人と共に日本文化が受け継がれていくことがこれからの課題だと感じました。

そして、太鼓と三味線による演奏、3世、4世の女の子による山笠踊り、盆踊りが披露されました。今では太鼓は非日系の方々が上手だそうです。その後、大人の女性やふるさと巡りツアー参加者も加わり、福岡の炭坑節を踊り、大変楽しい時間を過ごしました。

(よこお・えつこ JICA 日系社会ボランティア)


サンパウロ人文科学研究所 Centro de Estudos Nipo-Brasileiros