当サイトにてすでに発表された「ブラジル日本移民・日系社会史年表」増補版の編集作業が現在進行しています。研究所サイトにおいては、この作業を応援し、かつ皆様にその経過をも知っていただくべく、さまざまな情報をお届けしようと計画いたしました。第一回は専任編集員の神田大民(だいみん)さんにお話を伺いました。
神田さんの渡伯の経緯とジャーナリストとしての経歴
1963年までの3年弱地方公務員(秋田県)だった。単調な毎日にあき足りず、民間会社への転職を試みたが、東京五輪前は、まだ景気が上向いておらず、すべて門前払い。そこで海外に目を向けた。手っとり早いのはブラジルへの農業移住であった。
64年6月、パラナ州の農場に呼んでもらい渡航、同年9月に出聖してパウリスタ新聞社に入った。以後、2008年まで日伯毎日新聞社、ニッケイ新聞社で編集部員だった。その間、およそ1年間、雑誌「実業のブラジル」社に在籍した。
ジャーナリストとして、95年から2010年という期間がコロニアにとってどのようなものとしてとらえているか、その期間での思い出深いエピソードなどコロニアが、元気がなくなった期間。この場合のコロニアは一世社会の意味である。
邦字新聞の読者が、日ごとに減っていく“現場”にいた。読者の高齢化、死亡、購読料支払いで手元不如意、などが減少の理由だ。
いい意味で、うるさ型の読者が少なくなると、新聞づくりのハリがなくなることも、身をもって体験した。
コロニアで創業された主な企業もほとんどつぶれていった。一世起業者の引退と軌を一にしている面があると思う。もちろん、ブラジル経済の流れ、特に金融政策の影響が直接あった。「レアル」への移行(94年から実施)には功罪があるとされるが「罪」のほうの影響が、日系人を含めた海外への出稼ぎを生んだ。コロニアの文化・体育団体が、これによって活性を失くしたというのは、当たっている。
上記の点を踏まえ、年表の増補版を作ることに感じる意義、また年表作成の上で、特に気を遣っている点2008年の半ばまで新聞編集の現役だったので、毎日のように「人文研の日系社会史年表」の世話になった。非常に役立った。過去の社会事象の年月日を数ページ繰るだけで知ることができるのはありがたい。しかし、1996年以降がないので困った。だから、今回の編集作業の話があったとき、即座に受けた。
いわゆる「一般の読者」には年表の存在はさほどありがたくないと思われるが、ブラジル日系社会の研究者や物書きにとっては、ぜひにも身辺にほしいものだ。
資料がら拾い集める歴史事項に疎漏がないようにつとめ、表現が冗漫にならず、簡潔に分かりやすくしたい。