ブラジル理解の必要性
ブラジルに関する経済指数は数多く報道されているし、経済に関する書籍も多数とはいえないが発行されている。しかし、ブラジルとはどのような国なのかという経営に必要な文化の全体像を表した本がないのである。本来ならば経営を始める前に、ブラジルとはどのような国なのかを調査すべき事柄であると思うのであるが、残念ながらテーマが大きすぎてなかなか情報が集まらないという問題がありそうである。しかも「文化と経済」または経営の関係についての記述は極めて少ないのは、日系進出企業のブラジル文化への関心の薄さを示すものであろう。
この文化に関心が少ないのは日系進出企業だけではない。このグローバル化時代に欧米企業でもブラジルで数々の失敗をしている。しかし、ブラジルに対する基礎文化の理解度は決して日系進出企業と同じではない。
このブラジルはラテン系文化に属する国家で日本とはなじみの薄い文化圏である。欧米系企業の場合、地理的にも、またローマ文化、キリスト教、ラテン語にも繋がりポルトガル語を覚えるのも早く、相互の理解も早いが、日系企業にとってはなかなか理解し難い文化である。
経済を支えるのは経済ではなく、マックス・ウェーバーの言葉を借りるまでも無く、その国の文化であることを忘れてはならない。
グローバル化に必要なものとは人、モノ、金+異文化理解である。残念ながらグローバル化と叫ばれながら日系進出企業のブラジル文化理解はあまり進んでいないのが実情ではなかろうか。その裏にはブラジル文化を理解しようとしても直ちに企業業績に反映されないことがあると思われる。しかし、将来、逆にブラジルの歴史や文化に教えられた時には既に手遅れなのだ。
このようなことを考えて、ここにブラジル文化と経済及び経営に関係する文化的な要素の骨格をまとめてみた。これをスタートラインとして一層のブラジル文化理解を深め企業経営に役立たせていただきたいと思う。
企業に必要な文化情報
1941年にステファン・ツバイクが書いた「未来の国ブラジル」で彼は言う、「ブラジルの過去をしっかりと見つめる者だけがブラジルが持つ真の意味を理解できる」。
それから既に70年以上が過ぎた。そして1960年代末から70年代初めにかけて「未来の大国」「ブラジルの奇跡」ともてはやされた。日本の新聞や雑誌にはしばしば「広大な国土、豊富な天然資源、農業、人口、力強い経済」という見出しが載ったものである。確かにその標語は「未来の大国」にふさわしく日本人の心を揺さぶった。
そして、その期間に日系進出企業は約450社を数えたが、第一次、二次の石油ショック後は景気後退を重ね1987年にはついにモラトリアム宣言に至り、1990年代に入ると「永遠に未来の国」と言う自嘲する声も一部から出るに至った。
国内ではブラジルを見限って3百万人以上のブラジル人が海外に出稼ぎや移住者として出て行った。日本にもその約一割に相当する30万人が就労していた。
その影響で進出企業の約65%は進出十数年にして撤退をしたと思われる。その原因がブラジル経済の不況だけにあるとは思えないが、ブラジル文化理解が不足していたことも確かであろう。
当時、日本の商社や企業ではブラジル情報と言うだけで全く関心を持たなかった。
ところが、つい最近のことである。日本のある大手証券会社の広告に再びブラジルは「広大な国土、豊富な人口と資源、巨大な経済力」という標語があるのを見つけた。
これには驚いた。一体この企業は80~90年代のブラジルをどのように見ていたのであろうか不思議でならない。勿論、投資家は短期決戦しか頭にないので驚くには当たらないが、企業は短期決戦だけではすまないであろう。
そして今、BRICsの一員として脚光を浴びているこのブラジルである。2008年のアメリカの金融危機は先進諸国を直撃したが、このBRICsは被害も少なく、いち早くこの危機を乗り越えようとしている。
これはブラジルが政治的に努力した結果ではなく、先進国の金余り現象と新興国の資源、食糧等の需要に支えられた結果であろう。中でも中国の購買力によって支えられていると言っても過言ではない。文化的な時間(十年単位)で見た場合、そのような現象がいつまで続くかは誰も分からないのである。
だれしも将来のブラジルがどのような国になるのかは関心のあることであるが、それではブラジルは何故今まで経済発展が遅れたのかを考える人は少ない。その原因は経済的に色々と問題点が提示されているが、文化的にも色々と問題があったということである。
確かに新興国が経済成長期に入ると色々な問題点が発生するのは何もブラジルだけではないが、要はその問題点の内容である。
その問題点を検証することなく未来図を描くことは非常に危険であると思われる。
それでは、その文化的な問題点を列記すれば理解できるかというとなかなか難しいことである。日本とは歴史的、宗教的、民族的な背景が全く異なる社会において同一の目線で比較をすることは困難だからである。
それを理解しようと思えば、日本文化とは切り離して、ブラジルの歴史的、文化的な背景まで遡って探求する必要があろう。
それが出来ないから、大きな政治的、経済的な問題が発生すると慌てふためいて循環論法に陥り、原因解明と対策が後手、後手となって後遺症が残るのである。
ブラジルの歴史はたかが500年弱でしかない。故にブラジル文化も未熟であるというような安易な考えは、ある面では通用しても、全体から見れば通用しないものと考えた方がよかろう。それは同じような大国アメリカ合衆国とブラジルの発見は8年の小差に過ぎず、かつブラジルの開発はアメリカ合衆国よりも約100年も先行していたことを考慮すると時間的にアメリカ合衆国文化は成熟し、ブラジルは未熟とはならないからである。それは未熟ではなく、そのように見える文化であると捉える方がよいのではないか。事実、ブラジル文化の源流はポルトガル帝国、ローマ帝国に遡り、日本の歴史よりは遥かに古いのである。
よくブラジルは多文化社会、多民族社会と言われるが、それは社会だけの問題ではなく、個人もさることながら国家も同様に歴史的に多国間の交易、交渉、文化、経済への影響力、外国移民を無視してブラジルを語ることはできない。
日本の歴史ではほとんど日本を中心に理解すれば全体像を掴むことはできるが、ブラジルの場合はポルトガル、スペイン、アラブ(回教徒)、イギリス、フランス、オランダ、ゴート族、ローマ帝国、その他幾つもの国々の影響力を無視してブラジルを理解できないのである。ここにブラジル文化の複雑さがある。
上記のような歴史と文化を引きずるのがブラジルである。そして民族的な要素としてラテン系が強い国家である。それは植民地文化を作ったポルトガル人に加え、新たに流入した外国移民(1872-1972)の総数約500万人の内76%がポルトガル、イタリア、スペイン人というラテン系で占められていることから見ても、その文化的な影響は非常に大きいのである。又、奴隷制時代にはローマ法が生きていたし、20~30年前までは法科の学生はラテン語が必須科目であり、教会のミサもラテン語で行っていたのである。
ステレオタイプ的に見ればブラジル人はラテン的で熱しやすく、冷めやすい、カーニバル、サッカー狂、技術音痴、忘れっぽい、無責任、人種差別が少ない、楽天的、喋るのが好きとかいろいろある。とはいえ、そのような行動様式がブラジルに住むユダヤ人、アラブ人、ドイツ人、日本人、韓国人、中国人の全てに当てはまるものではない。
いずれにしても、「アメリカ人とは何か」と問うのと同じく、「ブラジル人とは何か」、は即答できない問題だ。
現在のブラジルは多民族国家でありながら、民族融和が進み、民族間の差別や衝突、あるいは宗教的な衝突で問題になったことは極めて少なく、寛容の民族国家として世界に認められている素晴らしい文化を持っている。
更に、上下の隔たりや民族に関係なく敬語を使わずに本音で語り合い、苦しくても笑いを絶やさず、他人にも隔たりなくやさしく接するブラジル人には人徳が備わっているとしか思えないほどである。
しかし、奴隷制時代は決してそうではなかったことは容易に想像できよう。主人、使用人、奴隷の区別は歴然とした厳格な家父長制の国家であったことを忘れてはならない。
また、社会学者であるジルベルト・フレイレに言わせるとブラジルの中世は世を挙げてセックス中毒の時代であったという異常な時代もあった。
外国移民が入りだした時代、19世紀末から第二次世界大戦ごろまでは、ブラジル人(ポルトガル系人、黒人、インディオ、混血)らは彼らを外国人(Estrangeiros)と呼び、外国人たちは彼らをブラジル人と称した。しかし第二次大戦後、次第にブラジル人たちは外国人と融合し、その境界はなくなって、このような国家になったのであって、昔から差別のない国ではなかった。
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