2016年の10月からサンパウロ人文科学研究所で研究を行なっている柴田です。この度は、去る4月28日から5月1日までペルーのリマで行われたLatin American Studies Association(通称LASA)の年次大会に参加して来ましたので、そのレポートをしたいと思います。
LASAはラテンアメリカに関する研究の国際的学術団体で、毎年北半球での春の時期に年次大会を行なっています。今年はリマのPontificia Universidad Católica del Peruを会場に世界中から2,500人以上の研究者を集めて開催されました。報告されたトピックは、文学から植民地主義、経済開発と都市化の問題、さらにはポピュリズム政治と多種多様なテーマに渡り、ラテンアメリカに関する研究の祭典といった様相を呈していました。それだけ大きな学会ですから、いくつかの部会が設定されているのですが、嬉しいことに私が専門とする移民研究も一つの部会をなしていて、近年の移民研究に対する国際的関心の高まりを感じることとなりました。私もこれまでの研究成果の一部を報告するために、Precarious Mobilities: Informal economies, workers and knowledge across bordersと題したパネルを組んで研究仲間と共に参加しました。
会場となったPontificia Universidad Católica del Peru
スペイン語が全く分からないため会場にたどり着くことさえ覚束ないのではないか、と不安を抱えての出発でした。サンパウロの友人の何人かがポルトガル語とスペイン語は親戚みたいなものなのでポルトガル語からの推測でなんとかなるんじゃない、とアドバイスしてくれたのですが、悲しいかなリマの空港に着いた早々耳に飛び込んでくるスペイン語は、まるで機関銃の掃射音のようにしか聞こえず、早くも挫折感を味わうこととなりました。
それでもなんとかタクシーと交渉して空港から海岸線沿いのハイウェーを東に移動、約40分で宿泊先のMiraflores地区に到着となりました。同地区は閑静な住宅街かつ新興の商業地区といった趣きで、観光客用のホテルやレストランが数多くあり、このところのペルーの経済発展を肌感覚で感じさせる街並みでした。歩道にはゴミひとつ落ちておらず、夜の9時、10時になっても子どもたちが道ばたで楽しげに遊んでいる光景が同地区の治安の良さを印象づけていました。
他方で、LASAの会場で知り合ったリマを拠点に都市問題を研究している文化人類学者と同行したリマ北部のComas地区は、地方から都市に流入してくる人々によって形成されたpueblo joven(いわゆるfavela)が広がっており、Mirafloresとのコントラストが印象的でした。同行した文化人類学者いわく、Comasのpueblo jovenは1970年代あたりから広がりを見せはじめ、山肌に張り付くように広がる住宅は現在も拡大を続けており、新しい地区になればなるほど、まだ水道や電気といった基本的なインフラが整備されていないとのことでした。Mirafloresにおけるいわゆるジェントリフィケーションの進展とComasのpueblo jovenの拡大は、ラテンアメリカにおける発展する都市の分かち難い2つの側面を典型的に照らし出しており、今回のリマ滞在の中でも最も印象深い体験となりました。
住宅街の中の小さな公園、Miraflores地区
Comas地区の広場、pueblo jovenが山肌に広がる
LASAの2日目にはいよいよ我々のパネルの報告です。今回私は、日本のブラジル人学校を事例として、移民のトランスナショナリズムが、いかに国家の法制度や労働市場の編成といったいわゆる外生的要因によって影響を受けているかという主旨で報告を行いました。コメンテーターからは、これまで移民たちのサバルタンな主体性として理解されることの多かったトランスナショナリズム理解に視点の転換を導入しようとしている点で興味深いとのコメントがありました。しかし一方で、日本の日系ブラジル人という単一事例の考察だけでは理論構築には弱い、議論により一般的な含意を持たせるためには比較研究の必要があるのではないか、との質問も受けました。この質問はむしろ我が意を得たりといった所で、まさに私が現在人文研で行っている日系ブラジル人のコミュニティ形成の長期的な変動という通時的比較を通じてかなりの程度理論構築に資することが出来るのではないかと考えるているところです。
同じパネルの報告者たちも、チリにおける移民の性産業を中心としたインフォーマル経済の展開、ニューヨークのメキシコ移民の生活史における非正規滞在という地位の影響、メキシコに送還された後の移民たちに対するNGOsの取り組み、メキシコから合衆国への一方における移民の流入と他方におけるドラッグの流入のポリティカルエコノミー上の連関といった興味深い内容の報告を行い、活発な意見交換が行われました。
パネルの報告者一同と。無事報告が終わり皆ホッとした表情
そもそもパネルの数が膨大なので、全ての研究報告を聞くことは不可能でしたが、今回のLASAで印象的だったことの一つは、ペルーの研究者を中心として二次世界対戦の日系ペルー人コミュニティに対する再検討を行おうとする機運が高まっていることでした。ブラジルとは対象的に、ペルーの場合、組織的な収容と合衆国への強制送還という大きな問題が横たわっており、私が見に行ったLa Segunda Guerra Mundial y los japoneses latinoamericanosと題されたパネルではその問題に関して活発な議論が行われていました。また、O retorno da emigração brasileiraと題されたパネルでは、近年のブラジル経済の不況との関連で、特に2014年以降のブラジルからヨーロッパ、合衆国、そして日本の出移民パターンの変化が議論されており、日系デカセギを研究の一部とする私としても大変刺激されました。
かくして4日間に渡って開催されたLASAは無事閉幕し、再びサンパウロに戻ってきました。残り少ない専任研究員期間ですが、今回受けた知的刺激を活力として自分の調査を進めていこうと気持ちを新たにした次第です。