去る十五日(水)、当研究所の顧問脇坂勝則氏がサンパウロ市シリオ・リバネース病院にて逝去されました。94歳でした。数ヶ月前に自宅内で転倒、頭を強打し、その後入院しておられました。快方に向かいつつあったものの、院内感染により病状が悪化し、恢復が叶いませんでした。
脇坂氏は1923年3月15日、広島市で出生し、1927年さんとす丸にてブラジルへ移住。サンパウロ大学化学科を3年目で中退、のちに同大学哲学科を1年目で中退しました。1955年よりコチア産業組合で、1968年からはコーペルコチア社で勤務。のちに1971年ブラジル南部投資銀行、1973年さくらフィルムに入社しました。1982年退職後、公証翻訳人、日伯文化連盟翻訳講座の教師などの職を務めました。『Michaelisポ日辞典』(2000年刊)、『Michaelis日ポ辞典』(2003年刊)の監修も担当しました。
当研究所創立会員の一人であり、各種シンポジウム(「Simpósio: O Japonês em São Paulo e no Brasil」1968年、「A Presença Japonesa no Brasil」1978年)へ参加、また1986~1988年に実施された日系人口調査では調査委員会委員長、また1989~1992年の間は『ブラジル日本移民八〇年史』編纂委員会の委員長としても活躍されました。1996年より1999年まで理事長を務め、以後、顧問として研究所の活動を支えつづけました。
翻訳者としての作品には梶井基次郎著「過去」(「えすぺらんさ」誌、1957年)、坂口安吾著「風博士」(Cultrix社『Maravilhas do conto japonês』所収、1962年)、芥川龍之介短編数編(「えすぺらんさ」誌、のちに単著)があります。当研究所発行の『ボーダレスになる日系人――ブラジルの日系社会論集』(宮尾進著)、『ブラジル日本移民日系社会史年表』(正編)もポルトガル語に訳しました。
当研究所の紀要をはじめ、「実業のブラジル」その他いくつかの逐次刊行物や邦字新聞にも寄稿を残しています。