着任のご挨拶
はじめまして。この度、新しくサンパウロ人文科学研究所でお世話になります世良杏奈(セラ・アンナ)と申します。2018年6月から研究員(若手研究者育成事業、ブラジル側)として着任致しました。少し遅くなってしまいましたが、着任のご挨拶にかえて、研究テーマと来年3月の任期終了までの抱負を簡単な自己紹介を交えながら、ご紹介させて頂ければ幸いです。
現在、米国Indiana Universityの博士課程(教育学・社会学)に在籍し、博士論文として多様な国、文化、言語背景をもつ移民子弟が教育を受け、社会化されていく過程で直面する様々な可能性と問題点に関する研究に取り組んでいます。私はこれまで日本とアメリカにおいて教員および研究者の卵として様々なプロジェクトに参加してきました。その中で、移住先(ホスト国)を重視した理論的枠組みを超えた、すなわち、祖国とホスト国間のトランスナショナリズム、そしてエスニックコミュニティを取り巻く国内や国際的な社会動向を考慮した枠組みから、移民子弟の社会進出と教育機会の関係性について理解を深めることを目的としてきました。
今回、研究員としては「移民としての日系ブラジル子弟の教育」というテーマで、戦前から現代までの日系子弟の教育環境(脚注)の移り変わりについて、人文科学研究所の文献資料の分析を通して(観察やインタビュー調査も検討)調べたいと考えています。特に、教育機関と関連事業の設置、管理と監督を担ってきた日系コミュニティ、ブラジル側、および日本側政府による公的な取組を概観し、これらの役割と相互関係を明らかにしたい。そして多様な教育環境が日系ブラジル子弟のアイデンティティ形成と社会進出にどのように影響してきたのかを考察したいと考えています。
日系ブラジル子弟の「教育」については、歴史的に色々な課題だけでなく期待も提示されてきました。私自身の「教育」歴の中でもこれが垣間見られるように思います。生まれ育ったサンパウロを中学校卒業後に離れ、高校と大学を日本で、大学院生活をアメリカで過ごしてきました。ここに至るまでは、「ブラジルと日本、両国での自立と成功」、「日本語での親子間のコミュニケーション」といった両親の思い、私自身の「ブラジル人・日本人としてのアイデンティティ」への思いだけでは語られません。周囲の関係者、一般社会からの「二つの祖国の架け橋」、「国際的に活躍できる人材」といった期待の反面、懸念も向けられてきました。世界的にも問題視される移民家族と子弟への偏見、子弟の母語喪失、そして特に近年のデカセギ家庭の中で問題視されるようになった社会適応の展望に欠ける「根無し草」、言語的にも不自由のある「ダブルリミテッド」などが挙げられます。現在、日系アメリカ人の夫との間に授かった二人の子どもたちに何を伝えて、残していくのか、私自身も試行錯誤の日々を送っています。一世紀以上のブラジル日本移民の歴史を経て、今は多様化する日系ブラジル子弟のアイデンティティ、そしてグローバル化する教育と雇用機会の時代だからこそ、ブラジルの日本人移民と日系社会が移り行く情勢の中でどのような期待と課題を模索しながら次世代の育成に取り組んできたのかを理解することに意義があると思います。
まだまだ抽象的なレベルでの話ばかりですが、具体例をもって皆様に研究の成果をお伝えできる日を心待ちにしております。
まだまだ至らないところばかりですが、ご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。