第10回研究例会:「変容する日系社会」―ブラジルを見つめて40年―(三田千代子女史)開催報告
quinta-feira, 09 de setembro de 2010

9月3日、文協ビル1階大会議室にて当研究所の第10回研究例会が開催されました。今回は、日本より調査のために訪伯されている三田千代子女史にお話しいただきました。「変容する日系社会」―ブラジルを見つめて40年―と題し、三田氏が初めてブラジルを訪れてから今まで、ブラジルを日本から見てこられたその観察を語られました。



三田氏は1964年、上智大学に出来たばかりのポルトガル語科へ入学。日本が高度成長を始め、移民が下降していく、そんな時期だったとおっしゃいます。四年後の68年、大学の学部を卒業し初めてブラジルへ渡られます。そこで、その後ブラジルとの関係を深めていくきっかけとなる出来事があります。滞在していたポルト・アレグレで日系2世の女性に会います。会話の中でその女性が、現地のブラジル人を指して「外人」という言葉を使うことに違和感を覚えます。本来なら、ブラジルへ移民した日本人が「外人」のはずなのに、と未だエスニック・アイデンティティという概念が存在しなかった時代でもあり理解できなかった、とおっしゃいます。

その後、70年代ブラジルは奇跡的な経済成長を果たしたものの、一転してハイパーインフレへと陥り、貧富の差が大きくなっていくのを観察されました。その結果として、85年よりブラジル人の離散(ディアスポラ)現象が生じ、日本へも多くの出稼ぎが行くようになります。そんな中で、三田氏自身はレシフェの貧困問題や人種関係問題へと関心を移しており、移民とは少し距離を置いていたようです。



2008年に日本人のブラジル移民が百年を迎えるに当たり、また、三田氏も移民について再考察されます。そして、日系社会の変遷を次のようにまとめられます。まず戦前、移民一世たちが築いた「日本人社会」。その後、戦後に二世三世たちが中心となる「日系人社会」、そして現在あるのが「日系社会」と呼ばれます。これは、エスニック・コミュニティではなく、必要に応じてエスニック・アイデンティティにより結び付くものである、と説明されます。

この日系社会も現在では、ブラジルの多文化社会の一部となっていますが、日本はなかなかこうした多文化の共生が難しい、という観察も述べられました。

三田氏の最近の研究結果「ブラジル人就労調査2009」、「外国人就労者生活実態調査結果」もご自身の研究室のサイトで公開されています。


サンパウロ人文科学研究所 Centro de Estudos Nipo-Brasileiros