2月22日、文協ビル1階小会議室にて今年度初めての研究例会が開催されました。お話し下さったのは、国際日本文化研究センター教授、細川周平氏です。細川氏は、1991年よりブラジルの日系人の間における文化活動を研究して来られ、既に三冊の本を著しておられます。今回のお話「日系ブラジル文学の雑感」は、昨年末刊行された「ブラジル日本移民百年史第三巻」の中で、細川氏が執筆された「日系ブラジル文学史概要」に基づいたものでした。
話の初めの部分で触れられ、また話の中でも貫かれていたのは、日本語という言語が、世界に数ある言語の中においても、人々が「文学する」という行為を促す極めて稀な言語である、ということへの氏の感動でした。
日本では新聞紙上において俳壇や歌壇、一般読者からの詩の投稿などが見られ、遠くブラジルまで渡ってきた移民たちもまた、そのごく初期の時代から新聞などに投稿欄を設けたり、各地に短詩などの結社を作り、同人誌を発行して来ました。細川氏個人の調査では、そのような動きは世界の他の場所には見られず、また、ブラジル人の高齢者たちが、日本人のように集まり合って詩を作り合うことも想像できない、との観察を述べられました。
そのような文芸活動も、ブラジルにおける移民の百年の間にいろいろな変遷を果たしてきました。初期においてはブラジルにおける日本人移民の特長である鍬を持った経験、そしてその苦労を題材とした短詩や文学が多く生み出されました。しかし、移民が戦後再開されることにより、新たな息が吹き込まれることになります。小説の分野においてはそれまで自分の経験に基づいた私小説が多かったことに対し、「娯楽」の要素が取り込まれたり、他の人から聞いたことを再構成するようになったりしました。そういった戦後の新しい文学風潮を持った作家として松井太郎氏や山里アウグスト氏といった名前が挙げられました。
約25万人が日本より移住し、それに加え5万から10万という数の二世たちが日本語で読み書きをする中にあって、さまざまな文学作家たちが現れてきました。しかし高齢化が進んでいるため、今後何か驚くような変化が日系文学に起こることはないだろうとしながらも、日本語により「文学する」ことはこれからも続けられるだろう、というのが細川氏の結論として語られたことでした。
実際に短詩、詩、小説、翻訳などの創作活動をされる方々7、8名を交え、多くの方々の参加のもと、非常に内容の濃い例会となりました。