ブラジルにおける日系農業史研究:「サン・パウロ近郊における日本人野菜生産販売概史」序
中野順夫(ブラジル農業研究者)
quarta-feira, 21 de dezembro de 2016

このレポート掲載にあたり、執筆をなされていた当研究所の嘱託研究員中野順夫(なかの・よりお)氏がこの9月28日不慮の事故によりお亡くなりになったことをご報告いたします。

中野氏は1943年、北海道小樽市生まれ。早稲田大学商学部を卒業。1970年に南米へ渡られました。サンパウロ新聞社に入社、農業欄等を担当。1974年にサンパウロ州を離れ、10余年をバイア州で過ごされた後、パラー州、サンパウロ州などを転々とされ、それから研究活動に没頭。2016年1月より嘱託研究員として当研究所にて「ブラジル日系農業史」執筆のため、2年間の予定で勤務されていましたが、このレポートが遺稿となりました。

目  次
はじめに
   1 日本人農家に対する誤解
   2 日本人農業史の研究と資料
   3 本レポートの意図するところと記述法

第 1 章 ブラジルにおける野菜普及前史
   1 ポルトガル人による野菜の導入
   2 植民地時代の農業
   3 共和革命前後の野菜流通事情
   4 サン・パウロの都市化と野菜需要
   5 ヨーロッパ人がもたらす食文化

第 2 章 サン・パウロ近郊における野菜生産
   1 20 世紀初めの野菜栽培事情
   2 日本人のブラジル移住
   3 日本人の野菜栽培
   4 野菜販売とフェイラ
   5 サン・パウロ市営青果物卸売市場

第 3 章 日本人農家の生産活動
   1 集団地づくりと協同組合
   2 コチア蔬菜出荷組合
   3 在サン・パウロ日本帝国総領事館勧業部
   4 日本人農家連合会構想
   5 コチア組合蔬菜共同販売所

第 4 章 コチア組合対モジ組合の対立
   1 モジ産業組合の経営事情
   2 反コチア勢力の台頭
   3 カペーラ地区のモジ組合員
   4 論争のなかカペーラ出荷組合を組織
   5 コチアのモジ進出

第 5 章 野菜は食生活の必需品
   1 工業化と生活様式の変化
   2 奥地における野菜栽培
   3 サン・パウロ近郊農業の変化
   4 アメリカナイズの影響
   5 野菜料理の多様化

第 6 章 野菜流通における日本人
   1 日本人委託販売人の台頭
   2 日系組合による競合
   3 州内に拡散する野菜産地
   4 サン・パウロ市場の青果物集散機能
   5 CEAGESP の役割

第 7 章 生産販売方式の近代化
   1 近郊農業と奥地農業
   2 向上する園芸技術と緑の革命
   3 どんどん変わる青果物卸売事情
   4 日系組合の衰退
   5 これからどうなるか?

注釈

参考資料


はじめに

1 日本人農家に対する誤解

 日本人のブラジル移住がはじまってから、すでに 1 世紀あまりを経過した。その間に、「日本人は農業の神様」と評された時期もある。また、「日本人がさまざまな野菜をもちこみ普及させた」「日本人がやってくるまで、ブラジル人は野菜をほとんど食べなかった」「日本人はブラジル人に野菜の食べ方を教えた」という話がつたわっている。さらに、「日本人がサン・パウロ市における野菜需要の 80 % を供給した」「日本人がサン・パウロ市民の台所をまかなった」という過大評価、あるいは誇大宣伝もあった。

 いずれも、日本人の農業貢献を称揚するためのものであるが、事実とはちがっている。だが、ブラジル人識者までがこのようなほめ方をしたため、日本人のなかでそれを盲信した人も少なからずいた。こうした誤解がつたわり、ときには誇張され、1960 年代以降、ブラジル社会にまでひろまったのは、まことになげかわしいことである。

 いったん定着した誤解をとくのはむずかしい。日本人子弟のなかでも、あとから生まれた世代のなかには、まちがった記述や流言を、そのまま信じこむ者もあるようだ。その実例は、2008 年に実施された「日本人ブラジル移住 100 周年記念祭」に見ることができる。日本人の農業貢献を喧伝する言辞が、記念式典の祝辞にあらわれ、記念シンポジウムの席で強調され、あるいは記念誌に記述され、マスコミもまた同じニュアンスで報道した。

 誤解はいつかとかねばならない。だが、半世紀以上にわたり確信されてきたことは、かんたんに翻覆できるものではない。また、そのための考証もまたむずかしく、おそらくきちんとした説明はできないであろう。なぜなら、日本人が野菜類の生産販売において、どれだけの実蹟があったか、それをしめす統計数字が存在しないからである。それでも、誤解であることの指摘だけは、いつか、だれかがやらねばならない。

 本レポートは、サンパウロ人文科学研究所が企画し調査研究過程にある、「ブラジルにおける日系農業史」の一部をなす。野菜部門に関する下調査として、「日本人野菜栽培史」をまとめた。それだけで一冊の本をなす分量(約 30 万字)である。そのなかから、サン・パウロ市および周辺地域を対象に要約し、日本人のはたした役割を考察してみた。とくに、1960 年代以前の古い時代を対象としたのは、日本人に関する記録がとぼしいからにほかならない。資料はどんどん散逸し、うしなわれつつある。今のうちに断片的記述や口述を収集し、ひとつのまとまった解説をしなければ、今後の研究者は手がかりをうしなうであろうし、上記の誤解もとけないであろう。


2 日本人農業史の研究と資料

 これまで、ブラジルにおける日本人および子弟の農業に関する研究は、きわめて少ない。一世紀にわたる農業の変遷を概観し、日本人の活動と事績を解説する通史は皆無といってよい。断片的記述をした刊行物は存在する。だが、野菜類に焦点をあてた史的考察はみあたらない。つまり、日本人の農業史を手がけた研究者はだれもいないということである。

 日本人の野菜生産に関する資料は、太平洋戦争前または戦時中に設立された日系農協(なかでもコチア産業組合、ジュケリー農産組合、モジ・ダス・クルーゼス産業組合、バンデイランテ産業組合、サンパウロ産業組合中央会)に残されていた。だが、それぞれ、1970 年から 1994 年までの間に解散したため、内部資料はほとんど消失した。わずかに、コチア産業組合中央会の資料が、少量現存するにすぎない。それも、主として 1960 年以降のものである。

 したがって、1950 年代までの日本人による野菜栽培史を解明することは、きわめて困難な作業といわねばならない。現存するさまざまな刊行物から、断片的記述をとりだし、関係者の談話も収集して比較照合するところから着手。ついで、ブラジルの政治、経済、農業、文化に関する史書を参照した。さらに、日本語の移住史、地方日系団体刊行物、日系農協関係資料なども分析し、総合的判断をこころみた。

 しかしながら、20 世紀半ばまでの野菜生産に関するかぎり、もっとも重要な資料はコチア産業組合の内部資料である。なぜなら、1930 年代から 1960 年代までおよそ 40 年間、サン・パウロ市場むけ野菜類供給で、日系農協がはたした役割は重要であり、リーダーシップをとったのが、コチア産業組合だったからである。

 1950 年代までの野菜生産は、サン・パウロ近郊に集中していた。そこへ 1910 年代から日本人がやってきて、ジャガイモその他の野菜栽培をはじめる。つまり、サン・パウロ市の都市化と工業化が促進されるとともに、野菜需要が急増しはじめた時期である。野菜生産に従事した日本人農家は、1930 年代になると、野菜供給の戦力となって活躍する。そして、卸売市場でも野菜流通の牽引力となった。1930 年代以降、サン・パウロ近郊の野菜生産事情、そして卸売市場の発展を考察すると、コチア産業組合の存在がめだち、販売量において傑出している。この点からいっても、コチアの内部資料は重要である。


3 本レポートの意図するところと記述法

 日本人の野菜栽培史だけをまとめた刊行物はなく、歴史的経過を理解するための手引き書もない。だからこそ、日本人の農業貢献に対する誤解がひとり歩きしているわけである。本レポートは、サン・パウロ近郊における野菜生産および流通に関する史的考察をしながら、日本人に対する誤解をただすとともに、正当な評価をこころみる。

 ただし、日系農業史の一部をなすものであるから、野菜栽培通史のすべてを詳説するわけにはいかない。それは最終レポートにゆだね、ここでは主として 1960 年代までの事情を考察する。なかでも、1940 年以前の歴史的経過をとりあげたい。植民地時代からつづいてきた、サン・パウロ近郊における野菜栽培と、サン・パウロ市街地における販売が、どのように進展してきたのか。とくに 19 世紀における生産販売事情を説明したうえで、本論の「日本人がどのようにかかわったのか」を解明してみたい。

 なお、記述にあたり、説明しておかねばならない点がいくつかある。まず、野菜その他の作物名。いずれも、現在日本で使われている名称をカタカナ表記した。しかし、ブラジル在住の日本人にとってわかりにくいと思われるものには、初出に際しポルトガル語名称を付記した。

 この「はしがき」にもすでにあらわれた「日系」なる語は、定義があいまいである。本レポートでは、暫定的に、日本人および子弟をふくめたグループをさす。子弟の世代について疑義があり、とりあえず第四世代(曾孫)までを想定している。

 また、ブラジルの青果物取引習慣で、ジャガイモ、タマネギ、ニンニクは、ほかの野菜と切りはなされ、別の流通経路をとおってながれる。したがって、本レポートでも、これら 3 品目をくわえる場合は「野菜類」とし、そうでない場合は「野菜」とした。

 参考資料は巻末に一括して掲出したが、引用個所は明示されていない。本レポートは、サンパウロ人文科学研究所の「ブラジルにおける日系農業史」研究企画における、中間報告(第 2 号)としてまとめたものである。最終報告ではないため、今後の調査研究によって、内容に一部変更修正の手がくわわる可能性のあることを、おことわりしておく。

第 1 章 ブラジルにおける野菜普及前史 >>


サンパウロ人文科学研究所 Centro de Estudos Nipo-Brasileiros